ラダリングからの脱却 〜メンバーとの対話から〜


こんにちは、Kです。

ワールドカップ終わりましたね。

やはりドイツ、しかしドイツという感じでしたが、
今日の記事には関係なさ過ぎるのでやめときます。


さて、今日の記事はちょっと前に書いた
「メンバーさんとのスカイプ議論企画」
から私が学んだことを書く記事でございます。

企画についての詳細はこちら

メンバーについてはこちら

議論の際に読んだ本はこちらでございます。

読まないとついていけない可能性はなくもない。


さて。


まず参加者の皆さん、改めてご参加ありがとうございました。


かなり思いつきで始まった企画でしたが、
私はとんでもない量の気づきがありましたし、
他の方にとっても学びのある場になったようで良かったです。

「参加者のレベルが高すぎて正直ビビってしまいました・・・」

という木坂マニアならどこぞで見たことのある発言が
素で出て来たときはちょっと面白かったですが、
それくらい有意義な議論ができたのかなと思っております。


ただ、参加者のレベルとそんな場を預かるプレッシャーに
気圧されていたのは私の方だということを
声を大にしてお伝えしておきたいと思います。

全部が全部初めての試みでしたからね。

初めて過ぎて怖かったよう・・・

まさかあんなにいろんな議論が出るとは思っても見ず。


しかしながら、個人的にはレベル云々よりも
参加者の方がご自身の体験や職業と関連させながら
本を読み解けていたのが良かったかなと感じています。

やはり自分の職業や体験、
Meなどに関連させて話していただけると、
学びが非常に多いですし、

「なんかスゲーこと言ってる」

という無駄な説得力が出るようになりますね。

抽象的な世界からではなく、具体的な世界から語るとは
こういうことなのだなと改めて実感した次第であります。

私も気をつけねば。


さてさて、前置きが長いのはいつものこと。

今日もお勉強のお時間です。

誰の勉強かって?

私に決まってるじゃないですか笑

あなたがそこから学ぶのには、使う意識が必要ですよ。


それではさっそくいきましょう。



【ラダリングからの脱却】


さて、あなたはラダリングという手法をご存知でしょうか。

恐らく知らない人はいないと思いますが、簡単に言うと
「なぜ、とひたすら問い続ける」
という手法でございます。

ちょっとやってみますが、


Q.なぜあなたは対話をしようと思うのですか。
A.それが人生に必要だと思っているからです。

Q.なぜ対話が人生に必要だと思うのですか。
A.それによって得られるものが増えるからです。

Q.それをなぜ得たいのですか。
A.人生が楽しくなるからです。

Q.なぜ楽しくなるのですか。
A.人生にコミットすることができるからです。

Q.なぜ人生にコミットしたいのですか
A.それが楽しく生きることに繋がるからです

Q.なぜ楽しく生きたいのですか
A.楽しくない日々を受け入れるのはもう嫌だと思うからです



とまあこんなやつですね。

ひたすら繰り返して掘り下げていく。

7回やると本質にたどり着くというのが木坂セミナーの定説です。


そんなラダリング法ですが、メンバーや本と対話していったところ、
「あ、これじゃダメじゃん」
という学びがありましたので、ご提案です。


ええ、理由とかはとりあえず置いときます。


まずは提案。


ラダリングするのやめませんか?


・・・


たぶんこんなこと書いたら
「ラダリングなんてやってねえよ」
とか言われそうなので、言葉を変えます。


「なぜ」と考えるのをやめましょう。


ということです。


「なぜ」


この言葉を私たちはよく使います。


学校だったら「なんでそんなことしたの」と聞きます。

自分と向き合う時、「なぜそうするのか」と問いかけます。

他にも理解できない犯罪などが起こったときに
「なんでコイツはこんなことをしたんだろう」
と考えますし、その事件が起こった原因を予想します。


でも、これって冷静に考えてみると、
すべて「原因論」の思考ですよね。


「なぜ」と問いかけることは、過去を振り返り、
そこにある原因を探ろうとする行為です。

例えば「なぜこんなことをしたの」と考えることは、
「それをした理由があるんでしょ?それを教えなさい」
という問いかけですよね。


何かが起こるには原因がある。

それを突き止めれば、解決することができる。

じゃあ、そこから考えよう。


そういう思考が原因論です。


でも、それじゃダメなんだよ、というのが
今回の対話の1つの結論だったわけです。


つまり、なぜと問いかけること自体が
古いパラダイムに縛られている証明なのだ、
と言えてしまうわけですね。


実際に確認してみましょう。


何でもいいので、
「やりたいけどまだできていない何か」
を思い浮かべてみてください。

ビジネスでもいいし、恋愛の告白でもいいし、
こうしたいなどの希望でも構いません。

あるいは、あなたがコンサルなどをやっている
立場の人なのであれば、行動できない誰か、
を思い浮かべてもいいです。


そして、考えます。


なぜあなた(その人)は行動できないのでしょうか。


そう考えたときに出てくる言葉はなんですか?


・・・


厳しいことを言います。


「言い訳」です。


過去にこんなことがあったから俺は行動できないんだ、
こんな可能性があるから行動できないんだ、
これが怖いから行動できないんだ。

どんな答えを挙げるにしてみても、
そこには自分ができない原因を挙げて、
今の自分を正当化しようとする発言が出てきます。

確かに、それを乗り越えることができるのなら、
行動できない状態を脱することができるのかも
しれません。


でも、ほとんど不可能だと思います。


言い訳を探している限りは。


変われないことを正当化するために言い訳を言うのですからね。


そして、なぜと問いかけることは、
それを自分で推し進めていると言うことに、
結果的にですが、なってしまっているからです。


子どもが何か悪いことをしたとき、
「なんでこんなことをしたの?」
と問いかけたところで、

「だって○○ちゃんがこうしたから!」

という言い訳が返ってくるに決まっています。


ですから、それじゃダメなんですね。

ラダリングからは脱却しなければならないわけです。

じゃあどうするのか。


これは本を読んでいない方には
わからないかもしれませんが、
「目的論的思考に切り替える」必要があります。

わかんない人は本を読むか、
今から話すことを数日でいいので
そのまま実践してください。

効果があれば、本を読んでみてください。


具体的にはどうするのか。


簡単です。


「何のために」と問いかけてください。


「なぜ」ではなく「何のため」です。


何のために行動しないのか。

恐らくですけど、そう問いかけられた人は
そこで言い訳をすることはできません。

たぶんですけど、すっごく嫌な思いをした後に、
しかしその後に何らかのことに気づくはずです。

昔の私だったらですけど、
「恥をかかないため」
と答えざるを得ないと思います。


子どもが誰かに嫌なことをしたとき、
「何のためにそんなことをしたの?」
と問いかけてみてください。

私には子どもがいないのでわかりませんが、
少なくとも自分を正当化する言葉は
出てこないのではないでしょうか。


このように、「なぜ」ではなく「何のため」と問いかける。


なぜ対話するのか、ではなく、何のために対話するのか。


そう考えたときに、自分が楽しく生きるためであること、
仲間たちと楽しく学び合うためであること、
そうした行動する「目的」が見えてきます。


そして、この思考をナチュラルにできるようになったとき、
私たちは原因論のパラダイムから脱し、
目的論へとパラダイムシフトすることができるのかもしれない。


という、仮説が立ったわけですね。


まあそれで本当にパラダイムシフトできるかはともかく、
少なくとも行動しないための「理由」ではなく、
行動するための「目的」が見つかると思うので。


そう思うので、私はそう意識してやってみようと思います。


「なぜ」ではなく「何のため」です。


参考になりそうならやってみてください。


それでは、今日はこの辺で。

しばらく学び系の記事が続くかと思いますが、
どうぞご付き合いくださいませ。

ありがとうございました!


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