教育、人の成長について④ 〜「良い」環境とは何か〜


こんにちは、Kです。

今日こそできる子とできない子を考察します。

やるぞー!



【成長と教育について④】



・・・とは言ったものの。


前回までの話を踏まえれば、
勉強できる子とできない子なんてのは
簡単に分類できると思います。


何せ、人は環境から学ぶ生き物である、
ということをすでに話しましたからね。

「その子が勉強ができるようになる環境で
育てられてきたか否か」


という話に当然落ち着いてきます。


勉強ができるようになる環境で育てば
できるようになるし、逆ならその反対。

それはもう日本で育てば日本人で、
アメリカで育てばアメリカ人、という
単純なレベルの話になってくるわけです。


まあ、そんなもんは当たり前。

当然の話です。

ですからここで問題になってくるのが


「じゃあ勉強ができるようになる環境ってどんな環境なの?」


って話になるわけです。


今回のテーマはこの辺にあります。


で、この辺の話って実はすごい重要というか、
ほとんどの人が勘違いしてドツボにはまる
典型的なポイントなんですよね。


というのも、たぶん勉強ができる環境と聞いたら
「小さい頃から勉強するとか?」
ってほとんどの人は思うと思うんです。

そしてそう思うからこそ、
多くの親は小さい頃から子どもに
いろんな勉強をさせてしまう。

習い事をさせてみたり、塾に行かせたり、
英会話に連れて行ったりするんです。


でも、これって違いますよね。


例えば英会話にしてみればそれは
「英語を教えてもらえる環境」に
子どもを連れてってるだけですから。


これは英語に日常的に触れられる環境(=英語圏)を、
英語を教えてもらえる環境のことだと
勘違いしている典型パターンです。


ですから、違うんです。


これは繰り返しになりますが、
幼少期から教えればいいなんて発想は
今では科学的には否定されています。


幼少期の勉強、それは正確には


「幼少期から勉強を教えてもらっていた」


ですよね。


それは言い換えれば

勉強を教えられる環境であり

無意識化での学びが学びでなくなる環境であり

環境からの学びが否定される環境

そんな環境に子どもが置かれている、ということです。


そういう意味では、むしろ勉強を
教えてもらう環境は、勉強ができなくなる
環境といっても過言ではないと私は思います。


実際そういう環境で育った人が木坂さんに
「何からでも学べるじゃないですか」
と言われてポカーンとするわけですからね。


( ゚д゚)ポカーン


教えてもらえる環境から私たちが学ぶことは、
「机に向かって勉強することが勉強である」
という学校教育的なパラダイムです。

その結果生まれるのは、なんらかの答えを
探そうとする典型的な情弱思想を持った子ども、

あるいはテストの点は取れるけど、
答えのない社会ではまともに生きられない
学ぶ力のない子どもだと私は思います。


ここは多くの教育ママが勘違いしていることなので、
特に子どもがいる方で、かつ今までの話に
納得できる方は注意してほしいですね。


では。


じゃあ勉強ができるようになる環境ってのは
なんなのかってところを考察したいと思います。


で、それにあたってまず考えてほしいのが

「勉強ができなくなる環境」

とは何が考えられるでしょうか、ということです。



ちょっと考えてみてください。


・・・


どうでしょ?


いろいろ思いつくかもしれませんが、
これに関しては科学的な知見が
山ほど出てきていますので紹介します。


まあ包括して言ってしまえば
「発達に悪影響を与えるものすべて」
って話になるんですが、


例えば、虐待。

例えば、幼少期からのテレビ。

例えば、コミュニケーション不足。

例えば、親同士の不和。

例えば、幼少期に受ける刺激の偏り。


こういったものが挙げられます。


実際上記の4つは脳や体の発達に
ダイレクトな影響を与えますし、

幼少期の触覚や味覚等、五感刺激の偏りは
自閉症を促進させ、感覚過敏を引き起こす、
との話を聞いたことがあります。

言ってしまえば変化に弱くなり、
自分の殻に閉じこもるようになるのです。


当たり前ながら、こんな状態で育って
勉強ができる人はほぼいないであろうことは
感覚的に容易にわかると思います。


何せ脳が十分に発達してないか、
極端に偏っているのですから。

まあたまに勉強ができる子はいますが、
それはその発達の偏りが「たまたま」勉強に
向いていただけです。

そういう場合はテストの点数は取れますが、
「あらゆる要素から自由に学ぶ賢さ」
という木坂的勉強のできる人の定義からは
大きく外れた状態に成長していることが多いです。


そんなではダメですよね。


・・・以上のように、まず勉強ができるかどうかは

「健全に発達してきていること」

がまず第一の土台だと私は考えます。


そしてその土台の話を和佐木坂ラジオプレミアム
木坂レポートで話してくれているので
メンバーにはこっそりと紹介したわけですけど、

参加するしないは置いとくにしても、
「健全に育ってれば勉強はある程度できる」
という点は知っておいて損はないかと思います。

少なくとも極端な落ちこぼれになることは
ありえないですからね。


さて、そんな宣伝はともかく。

いや、本当にオススメなんですけどね。

宣伝はともかく。


ここまでで土台を確認したところで、
ここからは「できる子」を育む環境に
踏み込んでいきたいと思います。


ただまあ、結局こういう話はかなりの部分で
「人による」世界の話になってくるので、
少し抽象的かつ比喩的な話になります。

なので注意して読んでほしいのですが、
とにもかくにも結論からを話します。


結局のところ勉強に限らず

「何かができるようになる環境」

とは


「その”何か”との距離が近い場所」


だと私は思います。


感覚がわかりにくいと思うので少しばかり
例を出したいと思いますが、例えば私たちは
幼少期から日本語に触れていますよね。

あらゆるものが日本語で表現されている。

そんな環境に置かれています。


こういったものは「近い」です。


反対に、スペイン語やタガログ語みたいなのは
日本人である私たちからすると
とんでもなく「遠い」ものと言えます。


その何かが近くにある環境は自然と身につく

「できるようになる環境」

に該当し、反対に遠くにある環境は

「できるようにならない環境」

に該当します。


・・・なんとなくわかるでしょうか?


他にも、有名な例で言えば
アマラとカマラの例などを挙げてみると
もう少しわかるかもしれません。


彼女らは生物学的には人間ですが
彼女らは保護された際に言語と呼ばれるものを
習得していませんでした。

それどころか、人間を仲間と思っておらず、
あらゆるマナーも常識も文化も概念も、
すべてを持っていませんでした。


彼女らはオオカミだったわけです。


彼女らにとっては
人間としての生き方は「遠い」ものであり、
オオカミの生き方が「近い」ものでした。

それは生肉を食らい、四足歩行で俊敏に動き、
ボディランゲージを主とした生き方です。


そんな生き方の近くで育った彼女らは、
オオカミの仕草や生き方は身につけましたが、
人間的なものは一切身につけませんでした。

そしてこういったことを
後から「教えよう」としてみても
ほとんど覚えることができなかった。

その結果、最後まで保護した人たちに
「この子は人間だろうか」
と思われながら死んでいったわけです。


こういうことがなぜ起こったかといえば、
彼女らはオオカミの世界で育ち、
人間から遠い世界で生きてきたからです。


なんとなく、わかるでしょうか?

「近さ」とはそういうものです。

物理的かつ、精神的な意味での距離感。

身近で馴染みのあるものほど近くなります。


これが「近さ」の定義です。

そしてそんな近いものからこそ私たちは学ぶ。

というのが私の主張なのです。


ですから、私たちがよく使う箸などの道具だとか、
子どもの時に見てきた勧善懲悪的なアニメとか、
あるいは親の考える「常識」であるとか。

そういった常日頃から触れている要素は
私たちは知らず知らずのうちに、
良くも悪くも学び、身につけていきます。


しかし反対に遠いもの、ロケットの操縦とか
他国の言語とかは身につくことはありません。

それはどれだけ教わっても、頑張っても、
やはり身につくものではないのです。

それこそカマラが最後の最後まで
言葉を話せなかったように、です。


そういう意味で私は
「何かができるようになる環境」とは
「近さ」であると定義しているんですね。


んで。


その定義に則った上で勉強に話を戻すと、

「学びが身近にある場所」

が勉強のできる環境だということになります。


で、また同じことの繰り返しになりますが、
「幼少期から勉強していること」は
その定義には合致しません。


ここは本当に注意してほしいです。


これは冷静に考えればわかると思いますが、
こういった「教えてもらう学び」ってのは
近さのレベルで言えばむしろ「遠い」です。


なぜなら、教えてもらうということは


「現時点ではとてつもなく遠い」


ということだからです。


遠いからこそ、誰かにサポートしてもらって
そこに近づこうという発想が出てくる。

遠いからこそ、教えてもらおうとかいう
発想が出てくるんです。


私たちは日本語習おうと思いませんよね?

近ければ近いほどそれは当たり前になります。

灯台下暗し。

東京の人は東京タワーに上らないのです。


ですから、今までの話を踏まえると
「いかに学びを身近なものにできるか」
が親にとっては大事であるということがわかります。

そしてこの言葉を見て多くの人が思った(?)ように、
これができる人は大人はほとんどいません。

なぜなら答えを教えてもらう学びに
慣れきっていて、多くの場合はそれしかないと
思っているからです。


ですからまずは親がそこから脱却し、
親が学びの本質を身につけるべきだ、
という話に当然なってくるわけで。

その辺りも子どもを持つ方々には
考えてほしいと思います。

なにせ、子どもは親という環境から
1番学んでいますからね。


教えるのではなく、背中で語れ。


これはStayGoldのリーダー論の話ですが、
こんな教育の話でも言えてきます。

以外と応用範囲があっておもしろいので
自分なりに考えるのもいいかもしれません。


それでは、今日はこの辺で

ありがとうございました!





P.S.

次回はこのことを踏まえた上で
「ビジネスで成功できる環境」
について考えたいと思います。

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