成功哲学との対話⑦ 〜 人生ってなんじゃらほい 〜


こんにちは、Kです。

「成功哲学を科学するとの対話」

第7弾をお送りします。


いやー、このレポートは対話の仕方がわかるように
腰を据えてじっくりやろうって思って始めたんですが、
思った以上に学びが多くてビックリしますね。

あなたも対話の基本的なやり方も身に付いてきて、
文章の見え方が変わってきたのではないでしょうか?

最初は慣れないのでしんどいと思いますけど、
続けてれば自然とできるようになりますので、
それまでは意識して頑張ってください。

そのうち「それが自然になる」ので。

身に付いちゃえば忘れませんからね。

スキーとか自転車と同じです。

意識しなくとも他の人の何倍も精密に読んでいけますから。


では、そんなこんなで今日も対話していきましょう。

間が空いちゃったので忘れてる人も多いと思いますが、
私も見事に忘れちゃってるのでご安心を笑

復習しだしたら+1時間はかかりそうなので、
適度に思い出しながらやっていきましょう。


過去編はこちらです。


その1
その2
その3
その4
その5
その6


今日は「人生の意味とはなんなのか」ですね。

それではいきましょう。



【人生の意味とはなんなのか】


さて、ここでの語句で注意したいのは

「人生」「幸福」「成功」

この3つの単語ですね。


読んでもらえれば大体わかると思うんですが、
これ木坂さんの中では「割と似たもの」として
扱われているように思います。

言葉の定義としてはまあ当然違いますけど、
「性質が似通ったもの」
という意味で近いのかなと。

簡単に言えば、全部果物だろ、的なノリですね。


例えばこんな一文。


「目の前の「幸福」と名付けられたニンジンを手に入れようとひたすら
 走っている我々は、それが「決して手に入らないものである」と突然
 告げられました。」



これ、他の例に置き換えて考えてみてください。


そういえば「幸せ」って前回しっかり定義してなかった
気がするんでここでざっくりやっちゃいますけど、

木坂さんの言う幸せってのは

「何かとの比較によって生まれるもの」

みたいな感じだと思います。


他の誰かとでもいいし、過去の自分でもいい、
「あのときに比べて楽しいから私は幸せ」
みたいなものが木坂さんの言う幸福観なんじゃないかなと。

だから当然、「幸せな今」が「過去」になった瞬間に、
今の自分はあのときにくらべて幸せではない、
極端な人は不幸になったとすら感じてしまうわけです。


まあこのことは日本や世界の幸福度指数とかを
見てたらなんとなくわかりますよね。

日本人って異常に恵まれてるくせに、
異常に幸せを感じにくいみたいですから。

若干の偏見入りますけど、貧困国の方々なら
食事があるだけで幸せを感じれると思いますよ。

どれだけ日本人は贅沢だと言われようと、
恵まれてるくせに心が貧しい、と罵られようとも、
私たちにとってはそれが普通なんだから仕方ないんです。


そういう意味で、幸福も主観的なんですね。


当然、成功や人生も同じです。


誰かや何かとの比較でしか語ることのできない、
すっごく主観的なものなんですね。


で、さらに脇道それますけど、
この辺はプロセスとも関係してくるので話しますけど、
人間って「停滞」はないですからね。

最高潮に幸せになって、それが続いたとしても、
そのうち慣れてそれが普通になるのが人間です。

さっきの貧困国の人も、食事があるのが普通になれば
そのうち他の欲求が出てきて、ご飯が食べられるだけでは
幸福を感じにくくなると思います。

まあ「あの頃に比べればマシ」と自分に
言い聞かせることはあるかもしれませんけど、
それにしたって「マシ」ですからね。

あの頃に比べたら幸せだ、ってだけです。


で、そういうマシの感覚に囚われる人はいずれ

「あの頃は良かったなあー」

みたいなバブル世代みたいな感じになってしまうわけで。


いずれにせよ、人が常に幸せを感じ続けるためには
常に過去の記録を更新し続けるという、
そんな無謀なアスリート人生を送らなければなりません。

しかもまあこれは当たり前ですけど、
常に右肩上がり状態を続けた人は
そのうち右肩上がりにすら慣れてしまうので、
もう目も当てられないような状態になります。


それこそ子どものお小遣いみたいなもんです。

「毎年1000円ずつ値上げするからね」

とかなってたら、ありがたみ感じられないですよね。

右肩上がりが普通だからです。

むしろ今月は上げないとか言おうものなら
不平不満を垂れ流されること請け合いです。

なのでもし小遣いアップする場合は定期的に上げるより
ときどきサプライズ的に上げてあげた方が、子どもや夫の
感謝度が上がるっていう説もあったりなかったり。



なんにせよ、停滞はないし、常に右肩上がりもそのうち慣れる。

かと言ってたまに下がったりすると私は不幸だってなる。

それが人間なんですね(なんと厄介な)。


そう考えると、何をどう取っても幸せなんて
手に入らないことがわかります。

瞬間的に感じることはできても、
瞬間後には相対的に不幸になるわけですから。

何より、何かと比べて自分は幸せだとか、
思考としてちょっと悲しいですよね。


そういう意味で幸せを目指すのはいいけど、
「手に入らないことを自覚しろ」
と木坂さんは言っているんだと思います。


で、当然それは成功とか人生においても同じわけで。


そもそも

「いったいどうなったら成功って言えるの?」

ってことなんですよね。


私たちは簡単に成功したいだとか
あの人は成功者だとか言いますけど、
成功の定義ってなんなんでしょうか?


100億稼げば成功でしょうか?

自由な時間を手に入れたら成功でしょうか?

世界中の美女を侍らしたら成功でしょうか?


・・・まあ成功と言えなくはないかもしれません。


でもそれは

「他人である私たちから見て」

であることをここまで対話してきた私たちは
気づかなければならないと思います。


だって、本人はそれで成功していると感じているでしょうか?

自分に置き換えて考えてみてください。

100億稼ぎました。そうしたら、

「俺はもう成功したからそれでいいや」

ってなりますか?


・・・ならないですよね?


100億稼ぐことも、自由を手に入れることも、
美女とセ○クスしまくることも、最終地点ではなく、
本人にとってはただの途中経過に過ぎません。

さらに言えば「その先にゴールがあるのか?」って言ったら、
恐らくどんな目標を立て、どんな結果や偉業を達成したところで
それすらも終わってしまえばただの途中経過になると思います。


そういえば、「鋼の錬金術師」というマンガで
マスタング大佐の師匠、ホークアイ中尉のお父さんが
ある錬金術の研究を完成させ、

「満足してしまった」

と言うシーンがありましたが、

完成させた当人は達成感なり満足感を感じるどころか
(もちろん完成した瞬間は大いにヒャッフーしたと思いますが)
廃人同然になっていましたよね。


人間は満足した瞬間、ゴールした瞬間、死人も同然になるんです。


これは別にマンガの世界だけの話じゃなくて、
東大受験生の燃え尽き症候群、仕事を辞めた人の痴呆など、
けっこういろんなところで見ることができます。

私も中学の部活が終わった頃、
(最後の大会が全国大会1歩手前で終わったこともあり)
気が抜け、廃人レベルの生活をしていた時期もあります。

ほかの人からは
「よく頑張ったね」「努力が実ったね」
と口々に言われ、褒められましたが、

自分にとっては既にそれは終わってしまったことで、
割とどーでもよくなっていたと記憶しています。
(もちろん当時はすごく興奮していましたけどね)


幸福と同じように「成功」も手に入るものではないんです。


多くの人は成功は手に入ると思っているようですが、
そんなことはない。


成功は、


他人がその人を見て「成功したね」と判断するもの


なんです。


結局これも比較なんですよね。

あの人に比べれば金銭的に秀でているから、
ほかの人より自由な時間が多いから、
わずか1ヶ月で1億稼いだから、

「だから、成功している」

みたいな感じで、誰かが何かと比べてと判断しているだけ。

そういうレッテル貼りなんです。

ラベルなんです、「成功者」なんてのは。

本人が感じているものじゃないんです。


じゃあ本人は何を感じているのか。


その「プロセス」にこそ価値があった。


そう感じているはずです。


それこそ、あのときあれだけ頑張ったことが、
今の自分を形作っている、みたいなもの。

過去のプロセスが、今のプロセスに生きている。

100億稼いだから今の自分がいる。

そのまま繋がっている。

そして、これからも繋がっていく。


「人生の本質はあくまでもプロセスにあり、またそのプロセスに
 意味を見出すことにあるのだ、ということを忘れないでください。」



木坂さんが言いたいことは、そういうことじゃないかなと。


なんかすげー語っちゃってますが、要は
「人生も成功も幸福もプロセスである」
ってことです。


「1. 人生は一義的にはプロセスである。
 2. 人生の意味は言葉では定義できないが「わかる」ものである。」



レポートにはこんな言葉が載っていますけど、
それこそ「わかる」ものなんですよね。

「体感できる」ものでも「実感できる」ものでもない。

ただ、わかる。

それこそ「あの人は幸せそうでいいなあ」であったり、
「俺は成功者の部類に入るんだろうなあ、実感わかんけど」
程度の「わかる」だと思います。


だから、
「俺は成功したんだぜ、ガッハッハ」
とか言っちゃう人に人はドン引きしたり、

「私今すっごく幸せだなあ」って言う人に
ふわふわしたお花畑感を感じてしまうんじゃないかと。
(まあこの場合は幸せの定義が違う場合もありますが)

幸せとか成功って手に入らないもので、
誰かが貼る「レッテル」に過ぎないことを
感覚としてなんとなくわかっているから。

それを自分で振りかざす人にある種の寒さを
感じてしまうんだろうなあと。

ま、これは思いつきですけどね笑


あ、そういえば。


これも思いつきですけど、ハイデガーの「今ここ」を
実践できる人は常に幸せなのかもしれませんね。

その人には「今」しかないわけですから。

比較する過去も他者もない、ただその瞬間があるだけです。

上も下もないなら、今が常に幸せなのかもしれません。

「瞬間」と「常」は言葉としては矛盾しますけどね。

これはもう少し論を詰めたいところ。

まあいいや。


とにもかくにも、このあたりでようやく
「成功」の定義が明らかになってきました。

木坂さんはずっと成功って言葉を使い続けてますけど、
この点を踏まえて読んでいくと木坂さんの成功の定義ってのは
どうやら2種類くらいに分かれそうな感じです。


1.目標達成
2.1個の生としての成功



この2つです。


1はプロセスの途中経過、
起業家的成功とか教育者的成功とか
言っている時の成功ですね。

100億稼ぐって言って実際に稼いだら、
まあ成功したって言っていいでしょう的な。

そういう意味での目標達成的成功です。


2は人として、生まれて死ぬまでの全体を俯瞰した、
ある種の神的な視点が入った成功ですね。

死ぬ間際に「ああ、いい人生だった」と
思えるかどうかが近いような気がします。

人(1個のプロセス)として、どうだったか。

死ぬ間際にしか味わえない幸福です。


あ、そういえば
「幸せは、死んでから得たらいいじゃない」
って前の段落にありましたね。


うん、繋がった繋がった。


というわけで、今日はこの辺で。


ありがとうございました!






P.S.

あなたの意見や感想、対話の結果を聞かせてください。

対話はアウトプットしてナンボですんで、
良かったら意見交流しましょー。

送り先はこちら

今日明日は割と時間が空いているので個別にお返事できると思いますー。

アドバイスを受けたいなり、私の意見を聞きたいなり、
議論したいなり、自由に使ってやってください。


最近ある人に対話メールにお返事をさせていただいたんですが、

「木坂さんが言っていた、「わかったつもり」の話は
どこか他人事のように思っていたのですが、
まさに自分事だということが身をもって体験できました。」

と感想メールを送ってくれました。

ええ、大変良くわかります。私も最近までそうだったので。

「実感しない」と腑に落ちないんですよね。

どれだけ木坂さんが警告を発していても。


そういうことに気づく意味でも、
どんどんメール送ってくれたらと思います。


この段落でもいいし、次の段落でもいいし、
このレポート全体を通してでもいいです。

あ、でも、次の段落の方が弁証法は起こしやすいかな?

自分の仮説(テーゼ)が作れますからね。

なんにせよ、お待ちしています!

いっしょに勉強していきましょう!


※追記

これに関して1つ思いついたことがあったので、別に記事にしました。

ビジネス的応用編です。

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