成功哲学を科学してみる①


こんにちは、Kです。

今回は
「成功哲学を科学する」
というレポートと対話してみようと思います。


このレポートが届いたのは1年ちょっと前ですが、
当時の私は「すげー」としか思いませんでした。

何も行動に影響がないと言うか、
使い方がわかんないと言うか・・・。

少なくとも美しさについて考えたり、感じたり
みたいな自分の変化には結びつかなかったんですね。


そんな私も今では少しは成長したと思う(思いたい)ので、
今更ですが、ちょっと対話してみようというわけです。

このレポートはちょうど良く段落で分けてくれてるので
すごくやりやすいですしね。

なので、初回ということもあるので、かなり丁寧に、
行けるところまで突き詰めてみようと思います。


というわけで対話していきますので、
もし「成功哲学を科学する」を読んでないなら
まずはそちらを先に読んでみてください。

こちらから


今日は「美しいのは誰か」という段落ですので、
そこまで読んでもらえればとりあえず大丈夫かと。

対話が始まると言葉遣いが変わるのはご愛嬌。

それではさっそくいきましょう。




【美しいのは誰か】


さてさて。

この段落で1番に対話しないといけないのは、
さりげなく出てきている「美しさ」って単語である
ことは間違いないんじゃないかなって思います。


特にメルマガを読まずにこのレポートを見た人はまず

「美しさってのは何なの?」
「美しくなったらどうなるの?」
「どうなれば美しいの?」
「そもそもその基準はどこにあるの?」


このような疑問を感じなきゃいけない。

少なくとも
「なんか美しさを感じられるようになることが成功の第一歩らしいぞ?」
みたいな感じでさらっと流していてはあかんわけです。


なにせ「美しさ」って単語はすごい漠然としてますよね。

これを木坂さんはビッグワードって言ってますけど、
こういうのってすっげー難しいんです。

詳しくはあとで説明しますけど、これを

「ああ、美しさね。はいはい」

と思う人はまだマシ。

ほとんどの人はそんなことすら思わずに
読み飛ばしてしまいます。

そういう人ってかなり危険なんですね。

私はそういう人だったんでめちゃくちゃ苦労しました。


それはともかく、このレポートを初めて見る人は

「美しいとは何ぞや?」

という視点を持ってメルマガを読んでみてほしいんです。


なので、まだメルマガを見てないって人は

こちら

を読んでみてください。


で、こっからは読んだ前提で話しますが、
「美しい」ってのは何なのか、わかりました?


・・・たぶんわかんなかったと思います。

アイドルが美しいのか、
風景が綺麗なのか。

ビジネスの在り方にムダがないのか、
長年の経験によって洗練された所作が美しいのか。

瞬間に打ち込む姿勢が美しいのか、
鼻血が飛び散っているのが美しいのか。

メルマガを読んでも、
その定義ははっきりしません。


「僕らは、美しさとは何か、善とは何か、みたいなものを
言葉で明確に定義することはできません。

歴史上の天才たちも、できませんでした。」



ということが平気で書かれてますからね(笑)。

メルマガ上では美しさの定義はされていない。

言葉にできないよパトラッシュ、と書いてあるだけなんです。


だからこそ、
対話ができる人はこの段落のタイトルを見た瞬間に
「あれ、美しいって結局何なんだったっけ?」
と思うはずなんだって言えるわけですね。


何せ美しさについて何の説明もされてないわけですから。

そして、そういう疑問を持って初めて、
その答えがこのレポートに書かれていることに
気づくんだと思います。

木坂さんは言葉にできないと言っておきながら、
レポートで明確な言葉にしてくれているんです。


どこでだと思います?

ぜひその段落から探してみてください。



・・・探しました?

それはここです。


『僕が前回のメルマガで言いたかったのは、
そういう「客観的な美しさ」について云々という話ではなく、

「自分で美しさを感じられる人間であれ」

ということなのですが、僕の筆力が足らずに、
少しだけ誤解させてしまったかもしれません。』



ぜひ、なぜここが答えなのかも考えてくださいね?


では、対話していきます。


木坂さんはここで

「客観的な美しさ」

という言葉を使ってますよね。

ということは、ですよ?

木坂さんの考える美しさには少なくとも
2つの種類があることがわかりますよね。


「客観的な美しさ」と「主観的な美しさ」


この2つです。


噛み砕いて言えば、

「みんなが共通して感じる美しさ」



「その人が個人的に感じる美しさ」

この2種類があるってことです。


で、木坂さんは後者の主観的な美しさ、
つまりみんなが共通して感じる美しさではなく、
あんたにとっての美しさを追求することが
成功の鍵だということを言っているわけです。


要は

「自分がうまいと思うものを食え」

そう言っているんですね。


そう考えると、
そもそも主観的、個人的なことを扱っているんですから、
哲学みたいな普遍性を求める学問で証明できるわけもないし、

それを木坂さんに聞くのが無意味であることも納得できます。

自分がうまいと思うものは、誰に何と言われようとうまいですよね。

次郎ラーメンは誰が批判しようがじろりあんにとっては関係ない。

うまいんです。

それと同じこと。

そんなもの歴史上の天才でも定義できませんよ。

個人的な好みなんですから。


つまり、「美しさ」ってのは

その人が勝手に感じるもの

と木坂さんは定義していると考えられるわけですね。


そして、それを追求していくことが成功の鍵である
って言っているわけです。


そう考えると、この「美しい」という単語は
「正しさ」とか「善」に置き換えても同じであることが
なんとなくわかってくるのではないかと思います。

実際、

自分が正しいと思うことをやれ。それが成功の秘訣だ。

自分が善と思うことを選び取れ。それが成功の秘訣だ。

このような言葉は、
今までの木坂セミナーでも何度も言われてきました。

アルケミーの「好き勝手やれ」という言葉もそうですね。


そういう意味で、この美しさという言葉はメタファーに過ぎなくて、
木坂さんが今までに言ってきた言葉のリバイバルに過ぎないことも
なんとなくわかってきますよね。

つまり、この美しさって言葉も木坂さんお得意の

「手を替え品を替え」

の一例なんです。

メルマガで出てきたウェイトリフターや焼きそばの店員は、

美しくもあり、善でもあり、正しくもある

と言えるわけです。


要は、「いつも言ってることと変わらんよ」ってことです。


と、ここまで美しさについてリーディングしてきたわけですが、
それを踏まえた上で

「自分で美しさを感じられる人間であれ」

という言葉と対話してみようと思います。


先にも言ったように、
美しさとはあくまでも主観的なものなので、
誰かに同意を求めることに意味はありません。

木坂さんは「答え合わせ」を幻想と批判していますが、
それは、そもそも答えってのは誰もが納得できる、
あるいは、反論できないものじゃないといけないからです。

要は、1+1は絶対に2であるからこそ、
「皆で答えを合わせる」
という作業ができるってことです。


1+1の答えが人によって違ったら答え合わせなんかできませんよね。

みんな違ってみんないい、になってしまう。

あるいは大ゲンカかになって終了です。


答え合わせってのは答えが客観的で、
かつ誰もが納得できるものであって初めて
できるものなんです。


その前提に立つと、

「この人は美しいと思いますか」

という問いは主観的なものを
客観的に捉えようとするものであって、

言ってしまえば
「次郎ラーメンは全世界の人にとってうまいものですか」
という問いと同じである、ということになります。

はぁ?って感じじゃないですか。

そんなことを問おうものなら

「うまいと思う人もいるし、うまくない人もいると思うよ?
(何言ってんだコイツ・・・)」

と呆れられて終わっちゃいますよね。

だから木坂さんも
「そんなことを僕に聞いてどうするのか」
と呆れてしまっているわけです。


この世で答えのあるものは学校で扱う内容くらいのものです。

それが学校教育の弊害の1つである的なことを
木坂さんがいつぞや言っていたような気がしますが、
この世には“最善”はあっても“答え”はないんです。

自分で決断し、自分で選び取っていくしかないんですね。


そのように考えたとき、

「自分で美しさを感じられる人間であれ」

という言葉は、


「自分が感じている美しさに自信を持て」


という意味にも取れますし、


「信じられる感性を磨け」


という意味にも取れますし、


「次郎ラーメンがうまいかどうかなんぞ自分で決めろ」


という意味にも取れるわけです。


さらに拡大解釈すれば、

「自分の思う美しさを体現、創造する人間であれ」

というアーティスト論にまで発展させることもできます。


いずれにせよ、主観的な美しさ、
自分が思う正しさなどを自信を持って
突き詰めていくこと。

自信が持てないのなら、
信じられるようになるまで自分の感性を磨くこと。

これが大事なんだって言っているんですね。


要は、

「ステージを上げろ」

そんだけの話なんです。


美しさとかはまあ二の次なんですよ。

リバイバルなんですから。


ただ、そのように考えると、
1つ疑問が出てくると思います。


それは、

「メッキが剥がれる」「偽物」

この2つの言葉に関係してきます。


わかりますか?


というのも、美しさってのは
そもそも主観的なものでしたよね。

うまいとか好きとかそういうのと同じです。

だとするなら、偽物ってのはそもそも
この世に存在しないことにならないですか?
っていうことなんです。

料理に例えて言えば、
おいしいものはおいしいんだから、
偽物もくそもないだろう、ということ。


それに対してはいくつか仮説が立つんですが、

1つは、

「感性が磨かれていないが故に間違った美しさを追求している」

という説が考えられます。


これは木坂さんも「もし、あなたの感性が正しく〜」という
言葉を使っていますから、木坂さんの立場もここに近い位置に
いるのではないかと思います。


このことは
マクドナルドをうまいうまいと毎日食っている人
を考えればなんとなくわかるでしょうか?

うまいと感じるお前の感性をとやかく言う気はないが、体壊すぞ。

ちょっと感性磨いたら食えなくなるぞ、それ。

的な。

まあ一応筋は通っているような気がしますし、
木坂さんもそれで説明を終えています。


でも、これだけではまだ不十分だとも私は感じていて。


なぜなら、本当に美しさが主観的なものなら、
間違った美しさなんて存在しないはず、
という主観主義を超えることができないからなんです。

要は、その意見じゃ

「俺はマクドナルドをうまいと思っているんだからそれでいいじゃないか」

という意見に対して反論できませんよね?

ということです。


なので、ここで少し別の視点から見てみます。


木坂さんはこう言っています。

「もしあなたの感性が正しく〜」

と。

そして、さらにこう言っています。

「美しくないと思う人が本当に美しくなかったとしたら」

と。


この言葉を見ると、ここで新たな仮説が
出てくることに気づくんじゃないでしょうか。

それは、

木坂さんは「外的な基準」を前提としているのではないか?

という仮説です。


要は、

感性を磨いた人なら誰もが美しいと感じるような
「絶対的な美」があるという前提に
木坂さんは立っているのではないか?

ということです。


この世に答えはない。

美しいのを決めるのは自分である。

こう言っておきながら、

美しいを判断する基準がある。

これは美しくないと断言できる何かがある。


そう言っている気がしてならないんです。


少し話がそれますが、今の話を踏まえると
木坂さんは「成功していると思われる人」を
4パターンにわけていることがわかってきます。


1.美しいと思っていたら、本当に美しかった人
2.美しくないと思われているけど、実は美しかった人
3.美しいと思われているけど、実は美しくなかった人
4.美しくないと思っていたら、本当に美しくなかった人



そして、3をメッキが剥がれる人と表現し、
3と4を偽物と表現している。

そして、「その何らかの外的な基準」によって、
2014年はその人が本当に美しいかどうかが
明らかになると言っているわけです。


そう考えると、やはり基準があるような気がしますよね。


自分がうまいと思うものを食えって言っておきながら、

でも俺はそれを食うのは間違いだと思う。

とか言っちゃってるわけですから。


でも、そう仮説を立ててレポートを読んでみても、
その基準が何なのか、そもそもどこにあるのか、という
疑問に対する答えはレポート内では読み取れませんでした。

なので、もしそういうのを見つけた人や
その辺にまでリーディングが至れた人はぜひ教えてください。


とりあえず、ここからは完全な妄想になるんですが、
木坂さんは以下のような前提に立っているんじゃないか
って個人的には妄想しています。


まず、木坂さんは

「普遍的な美しさ」

を想定している。


そして、その普遍的な美しさに沿えている人が
ほかの人から見ても「美しい」と感じられる人である。

その普遍的な美を感じられない人や、
別の人を美しいと感じてしまう人は
感性が磨かれていない人であり、

その感性に従っているようでは成功はできない。

美しいものを美しいと感じられて初めて、
自分も正しい道を歩いていくことができる。

だから感性を磨け。


こういう感じになるでしょうか。


要は、最初は2つと言いましたが、美しさは3つあるんです。


・個人が感じる主観的な美しさ
・客観的な美しさ
・個人の感性を突き詰めることで感じることのできる普遍的な美しさ



この3つ。


そして、主観的美と普遍的美の違いは、
ある種の山登りみたいなものと思えば
なんとなく説明がつきます。


私たちはみんな同じ山を登っています。

でも、そのルートは人それぞれです(主観的)。

でも、てっぺんはみんな同じところにたどり着くわけです(普遍的)。

感性は人それぞれだけど、
磨いていったらみんな同じ場所にたどり着くはず。

だって、世界は1つなんだから。


・・・スピに片足突っ込んでますね笑。

でも、そういうことじゃないかなって個人的には思います。


自分の感性を信じ、そして磨け。

正しく磨けば、自ずと俺のところまで登って来れる。

「調和」のとれた世界を見ることができる。

そこへ登ってくるのを俺は待っている。


そんな中二病っぽいメッセージを感じたところで
続きは次回。


うわ、長っ・・・

次からはもう少し短くなるよう努力します。

ギャグを入れたいお年頃。





P.S.

あなたのアウトプット募集中です。

対話はアウトプットしてナンボですんで、
良かったら意見交流しましょー。

・・・というか、私がしたいだけなんですけどね笑

送ってくれた方には、感謝の気持ちを込めて、
いくつか特典でも用意しようと思います。

送り先はこちら。

よろしければ、ぜひ。


P.P.S.

その②はこちら

でも先にアウトプットしてくださいね。

後になればなるほど忘れちゃいますから。

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