インスパレーションとの対話その3 〜木坂的ライティング〜


こんにちは、Kです。


今日もインスパレーションと対話していきます。

今回は第3回。

ライティング編の最後になります。


※過去対話集はこちら


このレポートと対話するにあたって
読書会参加者の方たちに自分なりの解釈を
(半ば強制的に)考えてもらいました。

※読書会は私が無理難題を吹っかけるのが
習慣になりつつあります。

その結果、皆さん頭を抱えながらいろいろ仮説を
考えてくれましたので、そこを叩き台にしつつ
今回の英文を考えていこうと思います。


ぜひあなたも次のレポートを自分なりに
対話して聞かせてほしいと思います。


けっこう勉強になりますよ。


なお、今回の英文はこれ。


You don’t write because you want to say something, you write because you’ve got something to say. —F. Scott Fitzgerald


スコット・フィッツジェラルド。

1880年代のアメリカの作家さんですね。

「失われた世代」と言われる世代なんだとか。

過渡期を生きた人のようです。


「何かを言いたいから書くのではない、実際に何か言うべきことがあるから書くのである」


レポートではこう訳された英文です。


味わって参りましょう。



【ライティングのさらに上】


では少しずつ読み取って参りたいと思いますが、
この英文について自分なりに読み取ってくれた方が
いましたのでまずはそこから紹介します。



============================================

>
>今回注目した単語は「want」と「have got」の違いです。
>木坂さんの訳でいえば「言いたい」の部分と「言うべき」の部分ですね。
>
>まぁ、僕は英文を読むときはアルク先生を頼りにするので、今回も
>この単語を検索しました。
>
>結果、
> ・「want」は欲しいという願望
> ・「have got」は所有している、経験する
>
>といった違いがあることがわかりました。
>

============================================


ありがとうございます。

やはりこの部分が基本になりますよね。

他の方もここと対話していました。


you want to say something



you’ve got something to say


皆さんはどう味わったでしょうか。


この表現ってどっちも英語の基本っていうか、
日本の学校では嫌っていうほどやらされる
おなじみの表現ですよね。

日本の受験英語で。

現在完了と口語文。

暗記させられるやつです。


そして、そういった勉強をした人は
さらっと読めた気になりやすい文なのでは
ないかと思います。

(当然ですが、この表現をしている時点で
「ほとんどの人は読めない」と言っています)

今回回答を提出してくれた人の中に
こんなことを書いてきた人がいました。



============================================

>
>なぜフィッツジェラルドはこの文章に
>MustやShould、さらにはhave toを使わずに
>「have got to」を選んだのだろうか?
>

============================================


確かに、「べき」と訳されることを書きたいなら
強い圧力や強制感をイメージに持つ
must や should を使う方がいい気がします。

だって「you’ve got to」って所有とか
持ってる的な訳になるんですから。


「言いたいことを持っているから書く」


この書き方では一般的な感覚としては
「べき」という訳にはならないと思います。

(まあ木坂さんの「べき」は定義が違うんで、
 あくまでも一般論として、です)


「べき」と訳したいなら must や should で
事足りるのに、なぜかフィッツジェラルド氏は
その表現を選んでいない。

「言うことを持っているから書く」

こうなってしまう文をわざわざ書いているんですね。


ではなぜ、フィッツジェラルド氏は
その単語を選んだのか。

なぜ木坂さんはそのフィッツジェラルド氏の
「持っている」を「べき」と訳したのか。


この英文や木坂さんのレポートを
読み解こうと思ったら、こういった疑問を
1つ1つ解消していく必要があります。


※第1回で話されていた写経の仕方、
「作者になりきること」
はこういう観点から行われるんですね。


では、なぜ must や should ではダメなのか。


これに関しては、もう単語のイメージは
言ってるのでわかりますよね。


・・・わかりますよね?


その「言うこと」はそもそも
何らかの強制力や圧力的なものによって
出てくるものではないからです。


must や should を使ってしまうと
「何らかのものによって突き動かされている」
という感じになります。

それは何らかのルールや崇高な理念、
ある種の義務感、神からの天啓など
いろいろなものが想定されると思いますが、

そういった何か大きなるものから
「動かされる」感じのイメージになるのが
should や must を使った英文です。


まあ別にそれでもいいと思いますし
そういう文章を書くべきだと主張する人もいる
(特に天から文が降りてくる派)んですが、

少なくともフィッツジェラルド氏は
そうは思っていない。

あくまでも強制力や義務感などに突き動かされる
感じで書いているわけではないことが
これらの単語を「使わない」点からわかります。


それと同時に、木坂さんが言う「べき」も
そういった強制力や義務感などから来る
言葉ではないことがわかるわけです。


誤解されると困るから一応説明を加えておくが、「べき」の世界は義務の世界ではない。「べき」の世界は普遍の世界、つまり「事実の世界」であり以前のレポートで言えば「コミットメントの世界」である。



この言葉はこういうところからも
読み取ることができるわけですね。


「べき」って一見難しいですけど
こうやって単語のニュアンスを踏まえると
わかりやすいんじゃないでしょうか?

「べき」とはあくまでも must や
should が持つイメージとは根本的に違う
意味を持つ言葉である。

あくまでも現在完了形や got の持つ
所有的なイメージを含んだ言葉なんです。


そのことに加えて以下の文章、


「言いたいこと」は常にたくさんある。でも、「言うべきこと」がたくさんあることはあまりない。「べき」には

1.「俺はこれが大事だと思う!」という主観的なもの
2.「世界はこうあるべきでしょう」という客観的なもの

の両方が含まれる。この両方を満たしたものが、「べき」の世界だ。




must でも should でもない、
主観と客観を両方含んだ
「所有」に近い概念を持つ言葉。


これが「べき」であると。


まあそういうわけです。


では。


この「所有」という感覚や、
現在完了が持っているイメージは
どんなものであるかを考えてみましょう。


読書会のメンバーの方はこんなメールを
送ってきてくれました。


======================================================

>
>以下は完全な私見であるが
>
>have gotは所有のhaveである、
>現在形でしか使用することができない表現である、
>
>という文法上の説明から
>「今」持っているということを強調したいからなのかなと。
>
>未来でも過去でも進行しているものでもなく
>「今」言いたいことがあるべきことを書けという
>フィッツジェラルドのメッセージなのかなと。
>

======================================================



別の方はこんなことを書いてくれました。



======================================================

>
>まぁ、僕は英文を読むときはアルク先生を頼りにするので、今回も
>この単語を検索しました。
>
>結果、
> ・「want」は欲しいという願望
> ・「have got」は所有している、経験する
>
>といった違いがあることがわかりました。
>

======================================================



「今」持っている


あるいは


経験している


KENZOさんのメルマガにこんな文面があります。


「現在完了」が普通の現在形と唯一違う特徴を持っているとすれば、
それは、「常に過去が視野に入っている」ということでしょう。

ですが、それは「現在完了」という「ルール」によるのではなく、
「過去分詞が一緒に使われているから、必然的に過去に意識を
向けなくてはならない」ということによっているのです。

「昔起こったこと」が「今、<主語>にとってどんな影響を与えて
いるのか」ということを話したいときにこの形が使われます。


(引用元 : KENZO サルでも読める TIME・NEWSWEEK vol.10)



わかります?


解釈は人それぞれだと思いますが、
私はこう解釈しました。


「必然性」


がそこにある。


こうなってきた俺を持っているからこそ、
今の自分はこうなっている。

そんな今までの自分や経験を踏まえた上での
「俺はこうなっている、こうなければならない」
という感覚。

私は現在完了の持つイメージは
こういうことだと解釈しました。


過去があるから自分がある。

そこには必然性がありますよね。

ですから


you’ve got something to say


この文章もその解釈から読み取ってみると、
それはまさに「べき」と訳されてしかるべき
ではないだろうか、と思えてくるんです。


何せ「言うことを持っているから書く」は
たまたま持っているような感じではなく、
必然的に今も持っているのですから。

そりゃ言わなきゃいけないんだから
書きますよねーって話なわけで。

・・・というあくまでも私の解釈による
強引な解釈ですが、しかしながら
そういった解釈もできてしまうんですね。


そんな感じで英文を読み取ったところで、
「べき」の世界についてもう少し踏み込んで
いきたいと思います。


今までの英文から「べき」の世界とは


・must や should などの強制力や義務、
 信念などによって「突き動かされる」
 感じを含まないこと

・過去や経験などを踏まえた所有、
 「今ここ」の感覚を多分に含むこと
 
・主観と客観の両方が含まれること


 
そういう言葉であることを確認してきました。


そして、レポートにはこんな言葉があります。


「言いたい」とか「なりたい」とか「したい」などという子供っぽい want の 世界から一歩先へ進み、「こうあるべき」という世界をまずは作る必要がある



この言葉から


・べきは want から一歩進んだ世界にある


ということもわかります。


つまり、「want」と「べき」は対極ではなく、
成長したりステージが上がることで昇華する、
ある種の延長上にある概念だということです。


ポケモンの進化形みたいな感じでしょうかね。

「want」は完全に主観の世界ですけど、
「べき」に進化することで新たな属性、
つまり客観性が付与される感じ。

雷タイプにドラゴンタイプがつくみたいな。


おめでとう!ウォントはべきに進化した!


・・・退化っぽく見えるなあ。


まあそれはともかく、
べきってのは want の延長線上にある。

したい、ほしい、なりたい、言いたい、
こういったベクトルからさらに「一歩先」に
進んだところにある概念なんです。


ですからそのことを踏まえると、
別に want の世界を敬遠したり
これじゃダメだと否定する必要はなく、

むしろそれを認めた上で
「さらに突き詰めていく」
必要性すら出てきますよね。


そういう意味で「書きたいこと」は
避けるべき愚行ではなく、スタート地点として
歓迎すべきことであることもわかるわけです。


そういう意味で、客観が先ではない。

相手が先でもない。

主観、自分が先にあります。


そういう意味で、書きたいことがない人は
そもそもそのスタート地点にすら
立てていないわけで、

そういう人はライティング云々よりも
「なぜ書くのか」という自身の掘り下げ作業から
入るべきであることも言えると思います。


まず、主観。

want という子どもっぽい世界から入ること。

書きたいことから始めていいんです。


そして書きたいこと何度も書いていく中で、
格闘を繰り返していく中で、たぶんですけど、
少しずつわかってくる。

それこそ書き続けることで
「良い書き手になるための道」が
見えてくるように、

書きたいことを突き詰めていくことで
そこに「べき」の世界が垣間見えてくる、
恐らくそういうものなんでしょう。


ですから結局大事なのは、自分の書きたいことと
現実世界の間にある様々なギャップを
埋めるために格闘し続けること。

そうして初めて普遍性を含む「べき」の世界に
近づくことができるのではないかなあ。

・・・といういつもの話に懲りずに
戻ってくるわけですね笑。


とにかく実際に書きやがれと。

書きたいことがない人はMSP掘り下げろと。

格闘し続けろと。


この一連のレポートはそのような
繋がりの中にあるようです。

まあ木坂さんはこのレポート群を
まとめて一気に書いたっぽいので
そりゃ繋がってるよねって話ですが。

しかしながら以前の私はこの繋がりを
感じられなかったなあとも思うので、
精進しなければならないことを再確認したり。


うん、まあ、そうですね。


はい、というわけでインスパレーション
ライティング編はこれで終わりです。

ライティングっていうか生き方の話に
なってますけどね。

何か参考になれば嬉しいです。


次回は第4回から、
木坂さん的にはメンタリティ的な、
説教臭い話になるそうです。

説教はされたくないですが
メンタリティは身につけたい。

そう思う方は頑張って参りましょう。


・・・読書会の方々、わかっておりますね?


それではまた。

ありがとうございました!





P.S.


主観を突きつめると客観性が付与される。

そしてそれが普遍に昇華する。

この感覚は別段不思議な感覚ではありません。


なぜなら、「こうなりたい」を突き詰めると
世界がそうならなければ「こうなれない」ことに
気づいてくるからです。


例えば「人から愛されたい」と思っても
そもそも自分を愛してくれる人がいなければ
意味はないですよね。

それをもっと突き詰めていくと、
愛し合う自分たちを世界が認め、
祝福してくれなければ意味がなかったり、

場合によっては慣習や常識などを
変えなければならない場合も出てきます。


もっと身近な例で言えば、
私は木坂仲間と語り合いたいと思って
このブログを始めましたが、

私と同じことを感じていて、
かつ私と語ってみたいと思ってくれる仲間が
いなければ語り合うことすらできません。


・・・このように自分が本当になりたいもの、
理想を実現していくためには、
世界も「そう」なる必要がある。

「こうなりたい」を突き詰めると、
自然と相手の存在や社会などの現実世界が
踏まえられてくるんです。


そういう意味で、何ら不思議ではありません。


さらに言うと、その人の「こうなりたい」が
ほかの人にとってもそうであったとき、
その主観には少しだけ客観の要素が加わります。



「人は、自分の人生を自分でデザインするべきである」


これはあくまでも木坂さんの主観ですが、
恐らくこのブログを読んでいるあなたは
この主張に共感すると思います。

つまり、この主張は木坂さんから
学んでいる多くの人にとって
「こうなりたい」と思う主張になる。

となると、この主張は
一般的な1人よがりな願望に比べ、
少しだけ客観性を帯びるわけです。


ほかの人も「こうなりたい」と思ってるんですから、
外部から見てもそうであるという意味で、
客観的(=事実)的になりますよね。


そして、そんな人が増えれば増えるほど、
「こうあるべき」になっていくんです。


なぜなら、そうあった方が多くの人にとって
理想的な世界であるようになるから。


このことをもう少し突き詰めると、
そんな個人的な主張を多くの人が共有した瞬間、
そこに「コミュニティ」が生まれる、

という StayGold の一連の説明にも
繋がってきますね。


このブログに関しても、木坂さんについて
共に語り合いたいと思う人が多くいたからこそ、
今もこうして続いています。

Kさんのように私もなってみたいとか
いっしょに語り合う仲間が欲しかったとか。

・・・前者は勘違いも甚だしいと思いますが、
しかしながら私の理想は一部の人にとっても
「そう」であったから。


だからこそ、私の「こうしたい」という主張は
少しだけ客観性を帯びることになったんです。


主観と客観の両方を満たすとはそういうことです。


そして、どこでも、どんなときでも、
誰もが「こうなりたい」と思うものに至れたとき、
それは普遍的なものへと昇華されます。

普遍ってのは空間と時間を超越した
真理のことですからね。

たとえその人の主観的なものであっても、
それが万人に当てはまれば、
それは主観ではなく普遍と言えます。


まあそこまで至ることは幸福とかイデアと
同じくほぼ不可能なことではありますが、
(これも木坂ラジオ的な絶望ですが)

そこを至れないとわかりつつも目指し、
自身の「こうありたい」と格闘し続けるべき
なのでしょう。


べきを「責任」と解釈してくれた人が
読書会のメンバーにいましたが、

この感覚は主観が客観性を帯びる過程を
踏まえていくとまさにその通り、ですね。

いきなり責任って言われても
理解できる人は少ないかもしれませんが。


そんな感じです。

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