こんにちは、Kです。
ずいぶん間があいてしまいました。
お久しぶりの人はお久しぶりです、
はじめましての人は初めまして。
相も変わらずKでございます。
ヤボ用があり3週間くらいほっといてしまった
このブログですが、知らぬ間に対話メンバーが
10人以上増えているという摩訶不思議。
メールをくださった方もちらほらいまして、
どうもありがとうございます。
返事に時間かかって申し訳なかったです。
たぶん全部のメールに返信したと思いますが、
まだ来てないって人はご一報を。
さてさて。
私がいなかった数週間の間に
(相変わらず本人は何もしていないですが)
木坂関連が大きく動き出していますね。
みんてぃあさんがチームを募集したり、
和佐さんがチームを募集したり、
原澤さんが解雇(?)されたり、
maruさんのブログが消えてしまったり。
チームは別にどーでもいいんですが、
maruさんのブログが消えたのは個人的には
大きな痛手・・・。
あんなに勉強になるのに。
けっこう記事引用してるのに。
復活を密かに祈っておりまする。
で、今日の本題。
原澤さんがおもしろいPDFを出しましたね。
「the・真tegralプログラム」でしたか。
たぶん木坂関連をチェックされている人は
チェックしてるのではと思うのですが、
これがなかなか勉強になりそうなので
ちょっとばかし対話をしてみよう、
というのが今回の記事の趣旨でございます。
PDFはこちら。
⇒ http://orewo.com/shintegral.pdf
例のごとく勝手に転載ですので、
訴えがあれば削除します旨ご了承くださいまし。
(以前原澤さんにメール送った際に
「どんどん使ってくれ」的な言葉を頂いたので
たぶん大丈夫だと思いますけど、念のため。)
それはともかく、まずは一読、いや三読してみてください。
やはりレターですので、
感情が揺れるように書いてあります。
木坂さんのもそうですが、こういった勉強レターは
ニュートラルに読めるようになってから
対話していかないと、勢いに引っ張られます。
感情が揺れたままでは
正常な対話はできませんからね。
なので「勉強するぜ!」って人はぜひ三読を。
で、可能なら原澤さんの言うことに反証を
持ち出せるよう対話してみてください。
レターなので、ロジックに矛盾があるところとか、
あたかも事実のように書かれている主張とか、
実は自分も敵と同じことをしていたりとか、
そういった「売るためにやっていること」も
少しずつ見えてくると思います。
巧みに「ズラし」ているんですよね。
そういうのに気づくのも含めて勉強です。
良い悪いとかそういう話ではなくて、です。
興味があればやってみてください。
ちなみに参加についてですけど、
PDFが届いていないけど参加したいって人は
原澤さんに聞いてみてください。
私は最近の原澤さんのMSP的なものには
共感できないので参加はしませんが、
勉強になることは確かだと思います。
では対話にまいりましょう。
【integralとはなんぞや?】
さてさて、インテグラルと言えば
integral life master class
というのが木坂マニアの常識ですが、
「integral」
という言葉を辞書で紐解くと、
完全な、とか、不可欠の、という意味で
用いられていることがわかると思います。
直訳すると
「完全な人生を会得する学び場」
って感じになるでしょうか。
ただこれだけではよくわかんないと思うので、
木坂さんがいつぞやのセミナーで言っていた発言を
こっそりと抜粋してしまいますが、
「integralってのは統合されたとか完成されたという意味なんです。元を辿っていくと、触れられていないという意味です。(中略)何かが触れることによってあるべき姿からちょっとずつ形が変わっていくわけです。何かが欠けていったり余計なものがつけられたりして変わっていく。integralとかintegrityってのはそれらを全部取り去って正常な形に戻すという意味があるんです」
こういう意味が込められているようです。
つまるとこ、
バラバラになった人間を1つに統合していく取り組み
という意味が含まれているんですね。
まあこの辺りはここ最近の木坂セミナーに
参加した人は「本来性」という単語で耳にした
ことがあるのではないかと思います。
人間も、世界も、学問も、
すべては本来分かれていなかった。
心と体は分かれていなかったし、
世界に国境や国はなかったし、
学問も哲学たった1つしかなかった。
心と体に関していえば、
「人間」をより正しく理解するための
便宜上の分類に過ぎなかったんです。
それなのに、例えば今の医学なら、
体にアプローチしたら心がどうなるのかは
ほとんど検討されなくなりました。
寝たきりの薬漬けにしたら心がどうなって、
その結果「人間」がどうなるのかってことは
ほぼ無視されてしまっているわけですね。
ここ最近聞いた話だと、
精神病棟なんかは特に凄惨みたいです。
いずれにせよ言えることは、
バラバラにするほど人間は阻害されていく
ということです。
だからこそ、そのバラバラにしてしまったものを
統合し、本来の人間を取り戻そうとするのが
このインテグラルという取り組みにあるわけです。
で、それを踏まえた上で原澤さんのPDFを読んでみる。
こんな文面がありますね。
『「体」と「心」って別々に考えてしまって良いのだろうか?』
これまさにそれですよね。
正しいと思うことが正しいとは限らないという話も、
「心と体を分けることがはたして正しいのだろうか?」
という話の導入にも取れますよね。
まあこれに関しては教祖の話とか
自分の才能が潰されている云々の話もあるので
一概には言えないですけど、
原澤さんが本当は何を言いたいのかって考えると、
やはりこの心と体の部分ではないかと思います。
(むしろ他の話は原因論まっしぐらだし、
売るために言っている感があるので
個人的にはスルー推奨ですが)
なんにせよ、心と体は分かれていない。
もっと言えば、
心と体という区分すら本来は存在していない
わけです。
これは心や体に限らず、
すべてにおいて言えることですが、
元々はそこに区分はなかったんです。
臓器も脳も手も足も魂も精神も法則とやらも、
すべて私たちが「後付け」で作ったものです。
バラバラにして、分析して、
それぞれに名前をつけた結果、
分かれてしまっただけなんですね。
じゃあ、元は何だったのか。
なんだかわかります?
「人間」
ですよね?
もしかしたら「人間」という区分すらなく、
「世界」という枠組みだったかもしれませんが。
まあここは便宜上「人間」として話を進めますが、
大事なのはその「人間」なんです。
健康の話が出ていたのでそれを取り上げますが、
どうすれば「体」は健康になるのでしょうか?
どうすれば「体」は不健康になるのでしょうか?
どうすれば「心」は健康になるのでしょうか?
どうすれば「心」は不健康になるのでしょうか?
どうすれば「人間」は健康になるのでしょうか?
どうすれば「人間」は不健康になるのでしょうか?
この一文。
大事なのは最後の2つですよね?
そしてここのミソは、
本来はその思考しかなかったはずなのに、
というところにあるんです。
「人間」が健康にならなければ意味がないのに
なんで心とか体だけを健康にしようとするの?
ということですね。
心だけ元気でも意味がないし、
体だけ元気でも意味がない。
むしろ片方だけが元気という状況は
「人間」という観点から見ると
弊害の方が大きかったりします。
例えば心だけ疲れて体だけ元気だと、
鬱がどんどん加速していくってのは
木坂セミナーに出た人なら知っていますよね。
病気になった体だけを治そうとした結果、
廃人同然になってしまった例も多く聞きます。
心と体を分けたこと、体をさらに細分化したことは
確かに多くのメリットをもたらしましたが、
しかしその弊害として「人間」は失われました。
体は確かに長持ちするようになりましたが、
その分「人間」が病むようになりました。
今の時代、体だけは元気です。
でも心はどうなのか。
・・・いや、この区分は適切ではないですね。
「人間」として、善い人生を送れているのか。
このように考えたときに、
決して「Yes」とは言いづらい生き方をする人が
増えてしまっているわけです。
もちろんその原因がすべて人間阻害にあるとは
思いませんが、その片棒を担いでいる可能性はある、
とは少なくとも私は思います。
木坂さんや原澤さんが私と同じ仮説を
立てているかはわかりませんけど、
少なくともバラバラになったことで
弊害が出てきていると考えていることは
確かだと思います。
だから元に戻そう。
心や体ではなく、「人間」にとって大事なことを考えよう。
こういう取り組みが出てくるわけですしね。
これ、なんでもそうです。
ちょっと余談入っちゃいますけど、
「意識」と「無意識」という区分も
バラバラによる弊害の1つだと思います。
意識と無意識を分けて考えるのはいいんですけど、
結局元を辿れば「自分という人間」がやっている
ことには変わりがないわけですから。
そこを忘れてはいけないと私は思うんです。
しかし、無意識ってものを作ってしまったことで、
とても都合の良い逃げ口上ができてしまった。
「無意識にやっちゃうんだから仕方ないじゃない」
こういう発言が出るようになってしまったんです。
やってるのは自分なのに。
ただの言い訳になってしまっていますよね。
これも結局バラバラによる弊害であり、
また同時に「原因論」の弊害でもあると
私は感じています。
原因を求めることは、
1.それを知り、対処するための営み
2.原因を言い訳にするための営み
この両者から考えられますからね。
前者ならまだいいですけど、
後者の場合は推して知るべし。
意識と無意識を分けてしまったことで、
「自分」や「自律」という感覚が失われ、
自分が勝手に影響を受けてしまう
コントロールできない何かがある
という感覚ができてしまったわけですから。
まあこれについては
「嫌われる勇気」
という本と対話してみてほしいところです。
原因論と目的論、オススメです。
話を戻します。
integralってのは「統合」です。
そして原澤さんは心と体と脳の三領域を統合し、
人間本来の力(たぶん原始の力的なもの)を
引き出そうとしているわけですね。
まあこの脳ってのは原澤さんも
脳も体の一部分ですけど、「脳」だけは別個にしたほうが良いと思います。
と言っている通り「体」側なんですけど、
それについてはここではあまり詳しく書きません。
と説明を避けちゃってるのでわかりませんし、
原澤さんなりの理論があるんだと思いますが、
私はスピは脳じゃなくて「人間」に関係すること
だと思っていたので、今回脳に絞って言及した理由は
少しばかり気になるところです。
いずれにせよ、体と心と脳(スピ?)を
統合するのが今回の活動であるようですね。
ただまあ、ぶっちゃけ「統合」ってのは
とんでもなく難易度が高いものです。
まあ、引き寄せの法則なんていうのも、この3つが統合できれば、かけ算九九程度のレベルのものだと思いますよ。
と言ってますけど、そもそも論として
それ以前の統合がすっげー難しいので、
この言い方はどうなのか、とも思いますが。
確かに統合できれば簡単なのかもしれませんが、
それ以前に「統合」ってのはパズルみたいに
ただ嵌めればいいってもんじゃないので。
その辺も考慮に入れる必要はあると思います。
まあ、原澤さんも
「今回ぐらいの内容を読んでも理解できるレベルの方」
を対象にしていると最初に明言していますので、
その難しさは当然踏まえているみたいですけどね。
ちなみになんで統合がそんなに難しいのかっていうと、
その理由は実はすごくシンプルです。
なぜなら、形が変わっちゃってるから。
バラした時点でそれはもう別物になっちゃうんですよね。
この感覚を理解するためには「分節化」という
概念を学習すると良いと思いますけど、
物事を切り取る、分ける、分析する
という作業は多分に物事を取りこぼすものなんです。
例えば、ここでStayGoldの人間セミナーの話を
持ち出してみますが、人間っていうのは
生理的人間
哲学的人間
宗教的人間
社会的人間
経済的人間
政治的人間
この6つから考えられますよって話がありましたよね。
人間には多面的な側面があって、
だからこそ多面的に考える必要がある、
ということでした。
しかしながら、人間は心と体からできている、
と分けてしまった時点で
宗教的人間
社会的人間
経済的人間
政治的人間
この4つは取りこぼしてますよね。
他にも心と体との関連性とか、精神とか魂とか、
自身の中にあるかもしれない大きな流れとか、
そういったものも失われてしまっています。
むしろ取りこぼしたものの方が多いんです。
・・・まあこれは人間セミナー出てない人には
わかんないと思うので漢字を使って例えてみますけど、
「艦」
を人間だとすると、「舟」と「皿」が心と体です。
それを取り出してみる。
そうすると、舟とか皿については
よくわかるようになりますけど、
本来の「艦」を知っている人から見たら
「臣」とか「二」とか「ノ」どこいった?
ってなるってことです(わかりにくいか?)
まあ何にせよ、分けた時点でそれはもう別物で、
くっつけたって以前のものとは全然違うものが
できるだけってことだけ理解しといてください。
舟と皿くっつけたって、それは別物ってことです。
ですから、それらを統合するためには、
1.それぞれについての専門性
2.失われたものを拾う力
3.形が変わったものを整える力
4.それらを再びつなげる力
5.つながったものを理解する力
そしてさらに
6.それらを人に伝え、実践させる力
が要求されるんです。
これは今思いついたものを適当に挙げただけなので、
もしかしたらもっと必要かもしれません。
ついでに言うと、これは「くっつける」とも
また意味が全然違います。
くっつけるってのはテクニックですからね。
意外性を出したり、思わぬ気づきを発見したり、
わかりやすく語るための方法論ですから。
それに対し、「統合」ってのは文字通り
つなげて1つのものに昇華することです。
言ってしまえば脳科学と心理学と生理学を
1つの学問として体系化してください、
って要求されてるようなものなんです。
でも、その難しいことをやることが
本来の人間を取り戻すために必要だと、
木坂さんや原澤さんは考えていると。
で、それを私たちに伝えようとして
くれている、というわけです。
参加者も講師側も鬼のようなハイレベルが
要求される営みですが、しかしながら、
この統合的考え方はこれからの時代、
特に木坂さん関連を学ぶ人には必須だと
私も思います。
何を統合するかはその人の興味と得意分野に
依ると思うので一概に原澤さんの提供する内容を
統合する必要はないと思いますが、
しかしながら、統合ってどうやってやるんだろう、
という入門(にしてはハイレベル過ぎますが)として
参加を検討するのもありだと思います。
まあいずれにせよ、
自分にとって必要かどうか
という観点から判断してほしいと思います。
あ、そうそう。
これに関して少しだけ私の主張をば。
今自分にとって必要かどうか、という話をしましたけど、
「自分」という視点で考えるクセをつけようよ
というのが私の主張の1つなので、
これも合わせてお伝えしておきます。
これはMSP作りワークでも言ったことですが、
「自分のMeにとって必要なことをやっていく」
ということです。
このMeってのはある種、
「自分」という存在を統合した概念です。
これからこうしたいとか、今こうなりたいとか、
過去こうだったからこうだとか、心と体とかでもなく、
「自分」はどう在るのが幸せなのか。
これがMeなんですね。
そのMeを踏まえて話をすると、
・体にいいからやるとか
・心に対してどうとか
・自分のビジネスに対してどうかとか
そういう視点はすごくちっちゃくて。
これからやることが「自分」にとってどうなのか。
こういう大きな視点で考える必要がありますよね、
というのが私の考えです。
そういう意味では、たとえ「体」に悪くとも、
「自分」にとって必要ならやるし、
たとえ「心」によくても「自分」に必要ないならやらない。
そういった一部分の損得で考えるのではなく、
全体として考える意識を持つべきだと考えます。
で、そのためには「統合」という意識が不可欠で。
Meを明確にしておく必要がある、というわけです。
まあこの辺はシステム思考とかデザイン思考の
話になってくるので、興味がある人は
いろいろ調べてみてもいいかもしれないです。
簡単にまとめに入りますが、大事なのは
統合した全体にとってこれからやることはどうなのか
という視点で考えることです。
このことを説明する意味でも
今回の原澤さんのPDFは有意義だったので
使わせてもらいました。
で、もうちょっと言うと、
細かく分けて分析する場合は
言い訳探すためにやるんじゃねえぞ?
という原因論の弊害的な部分にも気づけたので、
自分に対する戒めという意味も込めて
こうして文章にしてみたというわけです。
ホント、原因論ってのは厄介ですよねー。
原因論に縛られれば縛られるほど、
人間はどんどんバラバラに、
そして阻害されていってしまうわけで。
「ここがいけないからここを治そう」
なんて考えたところで、
StayGoldの「悪循環を“断ち切る”」の話に
もろハマってしまうだけなのに、
そのことに気づかずやってしまうのが、
わかっているつもりで実は何もわかっていなかった、
みたいなことを突きつけられるというか。
なかなかままならないものですね。
そういうことに気づくっていう意味でも、
いろんな人の話を聞くってのはとても大事で、
こうしてメンバーの方からメールをもらったり、
あれこれと議論してみたり、
まったく違う意見を取り入れてみたり
そういったことをやっていかないとなー
って思います。
そういう場ができてるかどうかは知りませんが、
少なくとも私はいただいたメールに
ちまちまとツッコミを入れていこうと思うので、
今後ともどしどしメールいただけたら
私としても嬉しいです。
というわけで、久々の記事は
この辺で失礼したいと思います。
それでは、ありがとうございました!
K