インスパレーションを解凍してみた。〜ライティング編2〜


こんにちは、Kです。

そろそろ春ですね。

寒いのは嫌いなのでありがたい。


さて、今日も
インスパレーションを解凍しようシリーズ
の第二弾をお送りします。


※元ネタはこちら


今回もライティングに関するレポートです。

作者はウィリアム・ワーズルース。

イギリスのロマン派の代表的な詩人さんのようです。


ロマン派についても調べれば
解釈の幅が広がりそうではありますが、
その辺は各自でお願いします。


では参りましょう。



【Inspiration vol.2】


さて、まずは復習から入りますが、
前回のレポートはこんなやつでした。


「実際に書くことができて初めて
 良い書き手への道が開かれる」

 
 
ですね。
 
 
私たちは「書くこと」が良い書き手に
なるための方法だと思いがちですが、

書くことはただの入り口であり、
その先に険しい道が残されていること、

そもそもその入り口に立つまでに
凄まじいまでの努力(実際に書く作業)が
必要であることを読み取ってきました。


今回のレポートは続き物ですから、
当然前回の話が踏まえられています。


※ちなみにですが、今回は英文は読みません。

必要性を感じなかったからです。

なのでもう訳を載せちゃいますが、こんな感じです。


Fill your paper with the breathings of your heart. —William Wordsworth


「あなたの紙を心の息吹で満たしなさい」


です。


まあこれが本当に私たちの思う「心」と
同じものを指しているのかとか
of のイメージからどんなことが言えるのかとか

話そうと思えば話せなくもないんですが
どうも話が薄っぺらくなる気がするので
今回は割愛させてください。


今回は普通に対話していきます。


で、具体的にどこと対話するかって
ことなんですけど、今回はその焦点を
一単語に絞っていきます。


「格闘」


です。


まあ「word is born」でも良かったんですが、
読書会に参加してくれている山川さんが
こちらについておもしろい解釈を送ってきて
くれたので、それはそっちに任せてます。


※詳細は次回


結局このレポートは

「もっと格闘しろよ」

ってことを言っているレポートです。


言い換えれば、格闘することが
良い書き手への道であると木坂さんは
思っているってことですね。

あるいは「実際に書く」とは
格闘することなのかもしれません。

そこを安易に繋げていいのかは難しいですが、
それでも近いものではあると私は思います。


なのでそこと対話していけば
このレポートに圧縮されているものが
見えてくるかもしれない。

そんな仮説を立てていろいろ対話
していきたと思います。



で、本題なんですが。


「格闘」って単語を見たときに
あなたはこんなツッコミが
思い浮かんだでしょうか?


・何と格闘するのか?
・何のために格闘するのか?
・どうやって格闘するのか?
・そもそも格闘とは何なのか?



「対話」ってのはこういう面倒なことを
1個1個考えていくことも指します。

まあここで「も」って言った通り
これも1つの方法でしかなく、
場合によっては必要なかったりするわけですが。

今回はこれが1番対話しやすそうなので
選びました。


で、たぶんこういう話をすると

「どうやって対話の仕方を選んでるの?」

って疑問が出る人もいるかもしれません。


なので先に答えておきますが、
少なくとも私は対話の仕方などを
選ぶことはしません。

とりあえずいろいろやってみて、
いろいろ解釈しています。

で、その中で1番良さそうなものを
文章にしています。


ですから文章には書いていない
学びも当然あります。

その対話から読み取れることのみを
自分なりに書いているだけですから。

他の対話法をすれば他の学びがあるのは
当然のことで、こういった私の記事は
その1つの切り口を与えることで

「あなたが自分なりに学ぶ何らかの
キッカケが与えられればいいなあ」

と思って書かれているわけです。

で、その学びを送ってくださいと笑


まあそんな意図があるわけでございます。


んで。


「格闘」


ですね。


まずは、何のために格闘するのか。


これを考えるにあたって、
私はその目的を2つの方向性から考える
必要があると考えました。


それは、

・格闘しないとどうなるのか



・何のために格闘してまで文章を書くのか

という部分です。


前者は方法論的な意味での目的、
後者は原理的な意味での目的に
なりますよね。

要は、前者はメリットデメリット的な話、
後者は「なぜ書くのか?」という
行動の本質的な方向の話だということです。


で、まずは方法から対話していきます。


これに関してはそう難しくないですが、
方法的な意味で何のために対話するのか、
という問いに対して木坂さんはこう言っています。


誰が読んだって、表面的で薄っぺらい文章なのだから



要は、格闘のない文章は薄っぺらい、
反対に格闘の跡が見える文章は
重く人の心に訴えるということです。

まあ訴えるって言葉がもやってするなら、
妙に説得力が出てくるとか、
言葉に重みが出てくるって解釈でもいいです。

実際いますよね、そういう人。

熱がこもっているというか。


まあその辺はともかくとして、
方法論的な意味での目的は
今言ったみたいな感じになります。

要は伝わらない文章になっちゃうよ、
ってことですね。

もちろんこれをもっと掘り下げていけば
コミュニケーションまで広げられると
思います。


次。


なぜ書くのか。


これについて考えてみましょう。


ちなみにこのことに関して
木坂さんは以前のセミナーで
こんな表現をしていました。


何のために書くのか
・人が何かを書く目的は一つ
・相手に何らかの行動をしてもらいたいから
・人を変えるのではなく、その人の行動を変えるために何かを書く



これは使えるライティングですね。


もっと遡るとこんなことも言っています。


書く=生きた証
・ 人間は、自分が生きているかどうかよくわかっていない
・ 生きている気はする
・ 周りの人も確かに生きている気はする
・ でも確証がない
・ 全部夢かもしれない
・ マトリックスかもしれない
→生きた痕跡(証)を残したい



より具体的に・・・
・ 自分の考えを共有したい
・ 自分の主張に賛同してほしい
・ 評価されたい
・ 感動させたい
・ 楽しませたい
・ 人生のメモ(日記)
・ などなど・・・



何かを書くということ
・ 何かをを書くということは、生きることそのものである
・ 他者に対して自分の存在を知らしめ、生を確認することの連続体である
・ 人は、記憶の中でしか生きることができない
・ 記録はねつ造される
・ 記憶もされるが、しかし記憶はねつ造されたものも含めて、真実である
・ 自分の生が真実であるためには、世界の記憶として刻み込んでいかなくてはならない



これは Creative writeing Master Class、
CWMCと言われるセミナーです。


これらのことを考えると「書く」とは


自分の思いや信念、生きる証などを表現するものであると同時に、それによって相手に何らかの影響を与えることを望むものである


ということがわかります。


つまり、書くとは自分のためであり、
それと同時に相手のためのものでも
あるわけです。


ここまではいいでしょうか。


ということは、です。


そもそもとして私たちは

1.自分の思うことを表現する

という自分軸と

2.相手に影響を与える

という相手軸で書くことがわかります。


で、見てみればわかる通り、
そして経験としてもわかると思いますが、
この2軸は割とバッティングします。

自分の思うことを表現すれば、
それは独りよがりになって相手に伝わらない。

ただのナルシスト的な、自己満に満ちた
文章になってしまいます。


かと言って相手のことばかり考えて書くと、
どうも薄っぺらい、相手のご機嫌を伺うような
文章になってしまう。

自分の言いたいことは何も伝えられず、
ただ相手に読んでもらうだけの文章に
なってしまいます。

うまく書けば相手を喜ばせられるんでしょうが、
それは共感を生むこともないし、
ましてや影響を与えることなんて絶対できません。


相手のご機嫌を伺う文章は究極的には

「今の相手の現状を認めるだけ」

というものになってしまいますからね。


わかるよー、そうですよねー、
あなたは正しいですよー的な文章が
そういうものの一例ですから。


いずれにせよ、相手軸と自分軸、
どちらに偏っていてもまともな文章、
つまり相手に影響を与える文章は書けないわけです。


私たちは、この2軸の擦り合わせなければならない。


つまり、自分の思いや信念、生きる証などを表現しつつ、
かつ相手に何らかの影響を与えられる、
言い換えれば相手が進んで読み、
自身を変えたくなるような文章を書かなければならないんです。


この時点で既に格闘ですよね。


自身が書きたいことと、相手が望む文章のギャップ。


自分の理想と、相手の現状とのギャップ。


これを埋めなければならないのですから。


もちろん、これだけでは終わりません。


自分が本当に書きたいことと、実際に文章にしてみたときのギャップ


もありますよね。


私なんかはこれが特に酷いのですが、
書きたいことと実際の文章がまったく別物に
なることがよくあります。

自分の頭の中にあるイメージを
うまく言葉にできないもどかしさ。

あなたも感じたことがあるんじゃない
でしょうか。


これを埋めようと思う場合にも
かなりの格闘が必要になりますね。


この辺は分節化っていう切り取り力、
語彙力にも影響します。

世界をどんな言葉で切り取るかで
相手への伝わり方が全然変わるのですが、
私を含めたほとんどの人は
この世界の切り取り方が雑ですから。


このわかりやすい例としては

「ヤバい」

とかでしょうか。


本人はわかってるんだろうけど
相手には何も伝わらないあの感じです。


こんな表現とイメージのギャップを埋める
格闘も文章を書く際には出てきます。


もちろん、まだあります。


現実と理想のギャップ


もありそうですよね。


自分の理想はこうで、こうありたいと思うんだけど、
現実はそれとはかけ離れていたりする。

自身のMSPをまったく体現できていなくて、
まるでウソをついているような感じになってしまう。

「ホント、口だけだよなあ」

なんて自分で思ってしまうあの感じです。


もしそんなことを感じるのなら
(ほとんどの人は感じると思いますが)
そこを埋める格闘も必要です。


・・・などなど、簡単にまとめますが、
私たちは文章を書く際に

1.自分の現状と理想とのギャップ
2.イメージと実際の文章のギャップ
3.伝えたいことと相手の望む文章のギャップ

これらを埋める、そんな作業を
しなければならないんです。


これはまさに「格闘」ではないでしょうか。


そして、木坂さんはそういったものを
「格闘」と呼んでいるのではないか?
という仮説を立ててみました。


本当、格闘ですよね。


理想と現実のギャップなんで言わずもがな。


私も人のことは言えませんが、
結局ほとんどの人は自分の人生を生きることが
できていないのです。

そんな矛盾を抱える人が書いた文章に、
いったい誰が心動かされるでしょうか
って話なわけで。

文章を書く以前に、自身の抽象世界と
現実世界を一致させる努力をしていなければ
そもそも書くステージに立てない。

この辺からも実際に書くことが入り口である、
ってことへ発展できますよね。


2のイメージと実際の文章に関しても
ひたすら格闘です。

何度も書き直し、切り取り続ける。

「漏れなく、だぶりなく」
ってひたすら言われたのは
確か人間セミナーだったでしょうか。

出た人ならあの作業の過酷さは
体験していると思います。

語彙力や構成力、物語を使うスキルや
比喩を適切に使う能力も必要でしょう。

脳内にある世界をできる限り忠実に
「再現」すること。

そんな格闘が必要になるわけです。


私はこのブログ記事を書くのに
4回イチから書き直し、
結果1週間近くかかっています。

もう少し短く、そして書き直す回数を
少なくしたいなあ・・・


3。

伝えたいことと相手の望む文章のギャップ。

これなんてそもそも両者が入れ子状、
あっちを立てればこっちが立たず状態を
地で行っていますからね。

相手に合わせれば自分の主張がなくなり、
説得力がなくなってしまいますし、

かと言って好き勝手やれば
誰にも読んでもらえないような
残念な文章になってしまう。

だからこそ、その両者を擦り合せて
いったところにできるものが

「コミュニティ」

といえる素敵なものであるという解釈も
できるわけですけどね。


いずれにせよ、相手軸の欠如は
伝わらないが故に読んでもらえない
という事態を引き起こし、

自分軸の欠如は「つるん」とした
つまらない文章になるが故に
結局読んでもらえなくなるのです。


そんなギャップを全部埋めろと。

そういう格闘をしろと。

そう木坂さんは言っているわけです。


そんな格闘を終えてこそ、

「Word is born」

的な文章が書けるのだと。


どうやらそういう話なのではないか、
という私なりの解釈をしてみました。


・・・勢いで「何と格闘するのか」まで
話してしまいましたが。


まあ何にせよ、そういう「格闘」が
何なのかってのがわかってくると

そしてより重要なのは、その薄っぺらさは、究極的には「お勉強」では改善されないものなのだということである。


という「どうやって格闘するのか」に
ついてもわかってきますよね。

前回の英語で「study」ではなく
「learn」が使われていた意味も。


で、そういった話が最後の文章、


大事なことをたくさん言ったつもりだが、まず理解してほしいのは、ライティングは、キーワードの時代になっているということ。パターンがどうとかとか、論理がどうとかとか、そういう時代は終わってしまっている。そういう「テクニック」や「知識」は「前提」になり、それを踏まえた上で、いかに適切なキーワードを適切に配置できるのか、それが問われているのである。



ここに繋がってくるわけです。


キーワード云々はここはどうでも良くて
(それは格闘の末に生まれるものですから)
前提とは何かって話。

つまるところ、今挙げてきたようなギャップを
埋めようと格闘していたら、テクニックとかは
前提になって当たり前だってことです。

これは木坂さんから学ぶ人にとっては
もはや常識になって久しいことですが、

「人はそもそも文章を読まない」

のですから。


で、アルケミーとか使えるシリーズで勉強した人は、
大衆は本質的な意味で他人に興味を持たない存在で
あることがわかるわけですからね。

そんな人に何かを訴えよう、伝えようと思う際、
相手に話を聞いてもらうためのテクニックや、

内容をわかりやすく伝える倫理やパターンが
どれだけ重要なのかってことは、
わざわざここで語るまでもないことだと思います。

それがなければそもそもとして
読んですらもらえないのですから。

そりゃあ前提にもなりますよってわけで。


ただ、そんなことよりもさらに重要なのは、
そのテクニックを前提として
相手に「読むように仕向ける」その目的が


自身の格闘の末に至ったものを伝えること


そういった利他的なものであること必要がある
と、木坂さんは言っているわけです。


※まあこの辺はこのレポートからは読み取れなくて、
最近のセミナーとかが元ネタになるわけですが苦笑


いずれにせよ、「文章を書く」ってのは
そういうことなようですね。

ですからあなたも一度自分はなぜ書くのか、
何を伝えたくて相手にどうなってほしいのか
を考えてみるといいと思います。


少なくとも私はあなたが何かしら学んで、
それを元に自分の意見を発展させて、
それを何らかの形で生かしてくれることを
望んで文章を書いています。


まあそれが自分に戻ってくるといいなー
ってのが原初の目的ではありましたが、
今は別に私じゃなくていいから

誰かに伝えたり態度で示すことで
少しでもその人やその人に関わる人の人生が
良くなったらいいなー

とも思っていますので。


まあ、リアクション欲しいのは本音です。

ハイ。

今回のシリーズは割と好評で嬉しいですが。


さて、そんなこんなでこのレポートも
おしまいです。

次はいただいたメールを使って
少しばかり論を進めてみたいと思いますが、
そうするとさらに格闘が必要っていう。

もう文章書きたくない、メンドクサイ、
そんなことを思う今日この頃。


それではまた。

ありがとうございました!






P.S.

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