長年の疑問の星条旗


こんにちは、Kです。

今回は国家について話したいと思います。

なんでこんなことを書くのかって言うと、
私の思考の整理です。


できる限り噛み砕いて書きますけど、
あんまりおもしろい話ではないと思うし長いので、
興味がある人だけご覧くださいませ。



【国家とは何か】


あんまり意識してなかったんですけど、
そういえば私ずーっと疑問に思ってたなあ
ってことがあるんです。


なんでアメリカってあんなに星条旗があるんだろう


ってことです。


街中を見ても星条旗。

キャプテン・アメリカなんか全身星条旗。

コップにも車にも星条旗があしらわれています。


そんで、ことあるごとにUSAUSA!と叫び、
トランプさんはアメリカファーストを
繰り返し訴えています。


これ、日本だったらニッポンニッポン言うのは
せいぜいスポーツのときくらいですよね。

日の丸が掲げられるのも何かの祭典くらいで、
日常的に見るのなんて弁当の梅干しくらい
ではないかと思うのです。

日の丸を模したキャラクター(特に人型)
とか想像するだけで気持ち悪いです。


また、日本の愛国者と言えば右翼的なイメージがあり、
そういう人は割と敬遠されます。

国歌を歌わない、ということに対して議論になると
「別に歌わなくてもいいんじゃね?」
的な意見も出てきます。

国旗や国歌などを冒涜されても
軽い感じで受けとめる人も多い。


この違いはなんだろう


このことを何だかんだいって
幼い頃から疑問に思い続けていたように
思うんですね。


皆さんはどう考えるでしょうか。


けっこう不思議じゃないですか?


・・・不思議じゃない?


なんにせよこの疑問がある程度解けたのは
本当に最近のことで、それは例のごとく
木坂セミナーだったわけですが、

今回改めて考えてみようと思って
グーグル先生にいろいろ聞いてみました。

なんでアメリカはにあんなに星条旗が
あるんだい、と。


するとそもそも疑問に思う人が少ないのか
あんまり出てこなかったんですが、
少ないサイトの中でもほぼ100%出てくる
キーワードがありました。


「愛国心」


という言葉です。


アメリカ人は愛国心が高く、
国旗に対して誇りを持っている。

だからこそみんなが飾るんだ、
みたいな話が多かったんですね。


また、あるサイトにはこんなことが
書いてありました。


 同時多発テロ事件以降、アメリカ中のいたる所に星条旗があふれている。あらゆる店のウィンドウ、住宅の窓、車、Tシャツ、バンダナ、バッジ、入れ墨…。一見、まるですべての「アメリカ人」が愛国心に燃え、戦争に向かって一致団結しているかのよう。でも、ここは誰もが知る多民族国家。実のところ、いったい誰が、どんな気持ちでアメリカ国旗を振っているのだろうか。

 ニューヨークに住んでいる私が街中にひるがえる星条旗を見てまず感じたことは、今回のテロ事件で最大の被害を受けたニューヨークの住人と他州の住人とでは、同じように国旗を振ってはいても、その思いには違いがあるということ。アメリカ全体の世論が事件直後から急激に軍事報復に傾くなか、多くのニューヨーカーはショックのあまり、報復について考える余地などなかった。だからニューヨーカーが星条旗を身に付けている理由は、少なくとも事件直後は犠牲者を悼み、悲しみを分かち合い、ニューヨークの再生を祈るためだった。

 でも、ひとくちにニューヨーカーと言ってもここには様々な民族がいて、だからアメリカ国旗に対する思いも、実は相当に複雑。アラブ系が経営する食料品店などにも星条旗が飾ってある。これは自分もアメリカの一員だ、だから危害は加えないでくれと必死に訴えているメッセージであり、彼らは戦争を絶対に回避して欲しいと願っている。(http://www.nybct.com/5-05-MM2001-11.html)




これは同時多発テロに関する記事なので
そのまんま一般化してはいけないのですが、
これも1つ重要な指摘だと思います。


つまり、国旗を飾る人にも

1.自他ともに認めるアメリカ人
2.自分もアメリカ人だと認めてほしい人


この2つの種類の人がいるんだ、
ということです。


前者は単純な愛国心から国旗を飾っている。


それに対し、後者は自分がアメリカ人であること、
言い換えれば自身の所属をアピールする意味で
国旗を飾っている。

「俺はアメリカ人なんだ!信じてくれよ!」

というわけです。


で、上記の記事は同時多発テロの直後ですから、
アラブ系の人たちが自分もアメリカの一員だと、

自分たちも攻撃されたんだと、
テロ組織には断固反対するんだと
そう主張するために国旗を掲げているんだ。

要するにそういうわけです。


自身の所属をアピールする意味での国旗掲揚。


ふむ、なるほど。


そのような視点に立ってみると、
そもそも日本には自身が日本人だと認めてほしい人
(つまり民族的少数派)があまりいない

・・・というか世界的に見ても
かなり民族的に均一な国家であることが
わかります。


そうなると、自身の所属をアピールする必要はまずありません。

アピールしなくても当たり前。

みんなその人が日本人だってわかってますからね。


また、「愛国心」という意味にしても、

・島国という地理上の問題
・歴史的な背景
・今の恵まれた環境

等々の意味で他国と自国を比べる必要がない
日本では生まれにくいものと言えます。


この辺の議論は端折りますが、
そもそも愛国心なんてものは他国(あるいは敵)の
存在がなければ出てこないものですから、

生まれたときから日本にいて、
他国と交流するどころか、その存在や環境を
ほとんど知らず、平和に生きてきた、

そんな今の日本人に愛国心が生まれることは
基本的にはありえません。


日本が「好き」だと感じはしますけど、
「愛国」まではいかないわけです。


んで、です。


ここでアメリカの話に踏み込んでみる・・・
というかひっくり返すわけですが、

今までの国旗に関する論調には
1つ気になる点があるんですけど、
なんだかわかります?


気になる。


というのは、意図的か否かは別として、
問題を矮小化している(と個人的には思える)
点があるということです。


・・・


難しいと思いますけど、こういうことです。


今までの論調だとアメリカ人はどちらにせよ、


自分で望んで国家を飾っている


ということになりますよね。


その人の愛国心が高いからこそ飾る。

アメリカ人だと認めてほしいからこそ飾る。

それに対し、日本は愛国心がないから飾らない。

認めてもらう必要が無いから飾らない。


これはつまるとこ、個人の話です。


そうなると現旧アメリカ政府の意図であるとか
思想・政治的なプロパガンダ的なニュアンスは
含まれなくなりますけど、
果たして本当にそうなんでしょうか。

本当に個人の問題に矮小化してしまって
いいんでしょうか、ということです。


・・・たぶん違いますよね。


こういうのを本当の意味で理解するには
ナショナリズムや国家、国民について
理解しないといけないわけですけど、

こういったさりげなーい嘘に騙されては
いけないと個人的には思います。


ここから少し踏み込んだ話になりますけど、
国家は「国民」がいないと成り立ちません。


・・・何をアタリマエのことを?


と思うかもしれませんけど、実はすごく重要です。


なぜかというとこれが理解できると
政府は領土内にいる人たちが

「自分は○○国民だ!」

と思ってもらえないと非常に困ることが
わかるからです。


これは日本人には理解しにくい感覚だと思いますが、
アメリカなどの多民族国家は、一般的に自分を
アメリカ人だと意識しづらい傾向にあります。

アメリカには黒人もいれば白人もいて、
ユダヤ人もいればヒスパニックもいます。

これをみーんな1つの国民だって言われても
普通はピンとこないんですよ。


日本でも、例え日本国籍を持っていても
言語の通じないムキムキマッチョの黒人を
日本人とは思えないと思いますが、それと同じ。


「ワターシニホンジンデスヨ」

と言われても

「いやいやいや」

となってしまいます。


こんなことは日本では滅多にないケースですが、
アメリカではそれが日常です。


そういう環境においては、
例えば自分はユダヤ人だと思うことはあっても、
アメリカ人だと思うことは本来ありません。

彼らにとっての仲間とは「同じ民族」の人であって、
アメリカ人ではない。

アメリカに住んでいようと国籍を持っていようと
ただ同じ場所にいるだけの他人です。


多民族国家ほど、国民意識を持ちにくい。


そしてここが重要なのですが、
そういう多民族国家は政情的に安定しない、
そんな傾向があるのです。


宗教や文化、言語などが違う民族が
同じ国内にいれば当然ですよね。

政権がどこ寄りかによって政策も変わりますし、
それを気に食わない民族が抵抗すれば、
内戦にも発展します。

多民族国家はその形態的に爆弾を抱えていて、
いつ爆発してもおかしくないわけです。


だからこそ、

「自分は○○国民だ!」

と思ってもらえないと政府は困るわけです。

(少数民族を抑圧する場合は別ですが)


このことがわかるとアメリカに星条旗が多く、
ことあるごとにUSAUSA叫んでる意味が
少し見えてきます。


つまり、こういったアメリカの文化は
本来自身をアメリカ人だと思いにくい多様な民族を
1つにまとめるための政策なんだ、ということです。

みんなアメリカ人だろ?

世界最強の国家の国民だろ?

みんなでまとまってがんばろーぜ!

というわけです。


こういうのを難しい言葉で公定ナショナリズム
と言いますけど、まあそれはともかく。


国家というのは本来的な意味の話をすれば
「一民族一国家」の原則があります。

つまり、自分たちを仲間だと思える人たちが
作った共同体を国家と呼んだわけです。


でも、歴史の変遷を経て今やそういう国家は
世界中見渡してみてもほぼ存在しません。

アメリカは典型的な多民族国家ですし、
日本でもアイヌだったり琉球王国、
在日外国人などが混ざり合っています。

そういう意味で、国家の前提が崩壊した状況に
今の世界はあります。


でも、それでも国家は存在していて、
多くの人が国家を維持しなければならないと
感じています。

そうなると、なんとかしてその多様な人たちに
「自分たちは仲間なんだ、同じ国民なんだ」
ということを感じてもらわないといけない。

そうでなければ国家がバラバラになり、
政府が機能しなくなってしまいます。


それを避けるために、そのバラバラ度合いに応じて
公定ナショナリズムが用いられるわけです。


アメリカは多民族国家でほっとくと
すぐバラバラになります。

だからこそUSAを何度も強調し、
愛国心を煽り、星条旗を飾るわけです。

そうやって国を維持してきたわけですね。


それに対して、日本などの比較的均一な民族は
そこまで公定ナショナリズムは必要ありません。

ライフスタイルも似ていますし、
政府に求めるものも近いからです。

そもそもバラバラじゃないですから、
ナショナリズム云々を煽って1つにまとまる必要が
あまりないんですね。


ただまあ完全に必要ないわけじゃなくて、
政府は必要に応じてナショナリズムを
煽ってくると思います。


それは具体的な方法としては

・スポーツ
・天皇
・自国賛美
・敵の明確化

とかを通して行われるでしょう。


あるいは消極的な方法として
日の丸とか国歌の議論をメディアで流さない、
とかも考えられるかもしれません。


これらは今も行われてますよね。


で、なんで今煽ってるのかってことなんですが、その辺は

公定ナショナリズムは国民を1つにまとめたいときに行われる

ってことがわかればすぐにわかります。


国民を”特に”1つにまとめたいときって
どんなときだと思いますか?


・・・


ま、いろいろあると思いますけど
わかりやすいのは戦争ですね。


別に戦争するって言いたいわけじゃないですけど、
隣国がいろいろ面倒なのは事実です。

日本が巻き込まれる可能性がないとは言えないし、
巻き込まれなかったとしても有事の際には
シリア同様大量の難民が発生します。

難民問題は決して対岸の火事ではない、
ってことを木坂さんはセミナーで話していましたし、
他人事ではないでしょうね。


まあ他にも戦前の日本では
公定ナショナリズムがバンバン打ち出され、
それが復興の力になったことからも

経済発展

とか

国民に何らかの犠牲を負わせる

(それは労働だったり税だったり、
贅沢は敵だ的な戦時中の配給制の
正当化だったり)

とかいろいろ考えられます。


なんにせよ、愛国心を煽ろうとする時には
何らかの意図があることは
知っておいていいのではないかと思います。


まとめます。


国家は国民がいて初めて成り立つものですが、
その領土内にいる人が

「自身をその国の国民だと思えるかは案外自明ではない」

というのが今回の趣旨です。


その傾向が顕著な多民族国家ほど、
国旗や国歌を始めとした公定ナショナリズムが
行われやすい傾向にあります。

これは右だとか左だとかではなく、
そうしなければ国がまとまらないという意味での
必要性に駆られた政策です。


バラバラの国民をまとめるためには
手段は2つしかなく、
1つはナショナリズムを煽ること。

もう1つは武力です。


独裁国家は政権が安定しないと言われますが、
それは独裁政権だから安定しないのではなく、
そもそも安定しないからこそ

「独裁というスタンスを取るしかない」

という場合もあります。


その辺は地政学を学ぶとわかってくるわけですが、
そういう知識を持っておくだけで
世界の見方は大きく変わるのではないでしょうか。

独裁っていうと悪いイメージですけど、
その独裁政権がなくなった途端、
内戦の泥沼に陥ってしまった国々を
私たちはもう知っていますからね。


それでは今日はこの辺で。

ありがとうございました!





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