教育、人の成長について② 〜最短経路を知る〜


こんにちは、Kです。

今日は前回の記事の続きです。

教育についてですね。


早速参りましょう。



【教育、人の成長について②】


前回の記事で人は勝手に学ぶ生き物であり、
「誰かから何かを教わる」ことによる
学習の効果はかなり小さいことを話しました。


これは特にモノを教える立場の人、
あるいは子育てをしている人に
理解しておいてほしいことなんですけど、

教師の教え、親の教え、先人の教え
みたいなものは、学びの割合としては
かなり、というか相当なレベルで小さいです。


(ただ勘違いしてほしくないのは、
 学びの割合として小さいのはあくまでも
「親や教師の教え」だけであって

「親や教師自体」の割合はむしろ非常に大きく、
 多大な影響を与えるということです)


ですから親が教えたことに対して
「なんでこんなこともできないの!」
となるのはある意味では当たり前ですし、

それとは反対に
「いつの間にこんなことできるようになったの・・・?」
となることもよくあるものです。


なぜなら、勝手に学ぶから。

教わることはキッカケに過ぎないのです。

当たり前のことなんですね。


ですから「何か教えよう」とするのではなく、
「成長を見届ける」くらいのマインドでいる方が
精神衛生上いい。

子どもは勝手に学んでいくものなんだ、
と考えておく方がお互いにとっていいのです。


そうじゃないと教育ママにありがちな


「反虐待状態のしつけ教育」


みたいになってしまいますから。


気をつけたいところです(戒め)。


さて、今回はこの話をもう少し深めつつ
考えてみたいと思います。

人が勝手に学ぶものだと仮定したとき、
私たちはどうすればいいのか。

リーダーとしてどんなことに気をつけて
いけばいいのか。


今回は言語教育を例にとって考えていきたいと
思います。


それでは参りましょう。


さて。


私たちが新たな言語を習得しようと思う場合、
どんな努力をするでしょうか。




・・・ここで単語を8000語覚えるとか
考えた人は相当な木坂マニアです。

英会話に行くと考えた方は一般的な感覚を
持っています。大事にしてください。

シャドーイングを勉強すると考えた人は
原澤さんを追いかけている人ですね。


まあなんでもいいんですけど、
恐らく誰もがかなりしんどい道のりであることを
うっすら感じたのではないかと思います。


それは中学高校の英語教育で挫折した経験が
そう思わせたのかもしれないし、

今まったく外国語を話せていない現状を鑑みて
冷静に判断したのかもしれません。

いずれにせよ、そう簡単な道のりではないことは
わかるのではないかと思います。


ただ・・・ですよ?


私はここで

「ほーら、教えてもらうことなんてしょーもないでしょ?」

ってことを言いたいわけではなくて、

「なぜあなたたちは今日本語を話せてるんですか?」

ということを問いかけたいのです。


私たちは誰でも言語を習得した経験が
(アマラやカマラなどの一部の人を除いて)
あると思います。

まあアマラとカマラにしてみても
当人同士の意思疎通はできていたようですから、
何らかの言語(発声するかは別として)は
習得していたとみてもいいかもしれません。


まあその例は特殊として置いとくとしても、
私たちは今まさに日本語を話していますよね。


この日本語、どうやって習得したんでしょうか。


誰かから教えてもらいましたか?


まあ読み書きはそうだと考える人も
中にはいるかもしれませんが、
話すとか聞くとかはどうでしょうか。


まああなたはどうかは知りませんがたぶんほとんどの人は

「知らない間に話せるようになってた」

と答えると思います。


実際のところ、発達的に私たちは生まれてから
ほんの1年足らずで「ママ」「パパ」などの単語を覚え、
3歳になる頃には通じる言葉を話すようになります。

5歳になる頃にはヘリクツなどの機微に飛んだ
発言も増えて大人をイラつかせるようになり、

小学生になる頃には早熟の子は三段論法すら
駆使して大人を追いつめるようになります笑。


これって誰かが教えたわけじゃなく、

「いつの間にそんな言葉覚えたの・・・」

と知らん間にそうなっているものですよね。


決して言語を教えてくれる影の師匠的な
存在がいたわけでもないだろうし、
生まれつきインプットされているわけでもない。

せいぜい自分の周りにそういった日本語を
しゃべる人がいただけ。

あらゆる情報が日本語で話されているだけ。


ただそれだけの話だと思うんです。


つまり、そういった「状況」に置かれるだけで、
言語などの難易度が高いものですら知らないうちに
習得してしまうのが人間なんだ、ということです。


これは別に赤ん坊に限った話ではなく、
私たちだってアメリカに1年も放り込まれたら
普通に話せるようになると思います。

(まあこれに限ってはいくつかの条件、
特に「周囲に日本語を話す人いない」などが
必要になってきますけどね)


また、フィリピンやマレーシア、中国の人などが
日本に出稼ぎに来ていますけど、
彼らは来日当初は日本語を話せないそうです。

そんな状態でいきなり仕事に投げ込まれるそうですが、
半年も経てば普通に日本語を話しています。

しかも最初教えてもらう単語は、いらっしゃいませ、
かっこいいね、ありがとう、くらいだそうで。
(それはそれで滅茶苦茶ですが)


人間は本来それくらいできるんです。

それだけの力がある。

その環境に適応し、学ぶことができるんです。


つまるところ、何が言いたいかといえば、
人の成長において大事なのは誰かの教えなどではなく、


その人の置かれた「環境」


だということなんです。


赤ちゃんは3年で日本語を話すようになります。

海外に放り込まれた人は1年で言語を習得します。

プログラミングなどの言語もすぐ覚えられます。


反対に、日本で英語を6年間教えてもらっても
英語を話すことはできるようになりません。

英会話に高いお金を払って通い続けても、
やはり、身につくことはありません。


これはなぜかと言えば教える人が良い悪いではなく、
その人がいる「環境」によって決まるからです。


環境がよければ習得し、ダメならずっとダメ。


もちろんこれは言語に限った話ではなく、
道具でも、スキルでも同じことです。


それこそ、例えばギクシャクした職場からは
うまく切り抜ける空気の読み方を学び、

日々の車の運転からまったくできなかった
バック駐車をマスターし、

優しい大人からは人との関わり方を、
ダメな大人からは人間のあるべき姿を、
息抜きが上手な人からサボり方を学びます。


どれも教えてもらってできるような
簡単なシロモノじゃないですが、
そういう環境にいれば自然と身につくものです。


結局、「環境」なんです。


逆に言えば、適切な環境にいなければ、
どれだけ時間と労力とお金をかけたところで
できるようにはならない、ということです。


これは木坂セミナーとかにしてみてもそうで、
教えてもらったことを生かせない「木坂難民」が
なぜ発生するかといえば、

それこそ英会話スクールみたいに
むしろ「英語が話せなくなる」ダメな環境に
その人がいるからに他なりません。


私たちは環境から自然に学び、成長する。


ですから、木坂さんから学んだことを生かしたいなら、
そのことを生かせる環境にいる必要があるんだ、
という結論が導かれるわけです。


まあ、それが私のコミュニティだとか言えば
セールスができちゃいそうですが、
私はそんなことを言う気はまったくなくて。

やはり実際にビジネスや実生活を通して
実感を伴いながら実践していくのが1番です。


いずれにせよ、そのことを生かせる環境に
自分がいるかってことを考えると、
木坂難民を抜け出す1歩になるかもしれません。


・・・とまあ強引にまとめてみたところで
今日はこの辺にしておきたいと思います。


環境の力


このことを踏まえて次は
「勉強ができる子とできない子の違い」
について考えてみたいと思います。

それでは、ありがとうございました!

K

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