マッチョとインスタ


こんにちは、Kです。

あけましておめでとうございます。

唐突ですが、私が企画している読書会での
お話をしたいと思います。


この読書会という企画は気の合う(?)
愉快な仲間たちが集まって

・本を読んだり
・セミナーを見たり
・セミナーをしたり
・雑談したり
・ムダなプレッシャーを掛け合ったり
・ビジネスのアイデアを出し合ったり
・たまにレターの添削をしたり
・筋トレをしたり

という何をやっているかよくわからない
オンラインコミュニティです。


付き合いの長い人はもう4年近くになります。


そこで例のごとく集まって話していたのですが、
某○川さんという人が最近インスタに
のめり込んでいるようでして、
その話が会中に話題になりました。


○川さん「最近インスタをよく見てるんですよ」
我々  「(今更っすか?)」
○川さん「筋トレとかダイエットとかで肉体をアップするのが
    今流行ってるんですよ」
我々  「(そんなのを見る趣味があったんですか?)」
○川さん「最近は女性もけっこうアップしてまして」
我々  「(ん?女性?)」
山○さん「なかなかおもしろくて〜」


という感じ。


インスタにハマった某氏。


なんと見ているのは何を隠そう



「肉体美」



肉・体・美☆


NIKU・TAI・BI☆


某氏が言うには今インスタでは
自身の鍛え上げた肉体を披露するのが
流行っている。

各々が最高と思う肉体をネットにアップし、
ボディポーズを見せびらかす。

湧き上がる嬌声。

飛び交ういいね。

中にはものすごい人気を誇る
インスタグラマーもいるんだとか。


そういう話が話題になったわけです。


・・・


へー。


そんな趣味あったんですね(温かい目)


そんな読書会での深イイ話は置いといて、
この話題の中で1つ大きな発見と言うか
ビジネス的な学びがあったのでその話を。


某氏が言うことにゃ、
人気を誇るマッチョインスタグラマーには
ある特徴があるんだとのこと。


そしてそれは決して理想的な肉体美を
持っている人ではなく、
ないすばでぃな人でもない。

文章がおもしろい人でもなければ、
MSPが打ち出せている人でもない。

そもそもインスタでMSPってのも
よくわからない。


私たちからすると少し意外なものでした。


なんだと思います?


・・・


・・・・・・


「割と頻繁に太る人」


だそうなんです。


そしてもう少し言うと、その太った体を
臆面もなくネットに上げることのできる人、
こういう人が人気を誇っているらしい。

それに引き換え、モデルのような肉体や
ボディビルダーのようなマッチョの
インスタはあんまり人気がないんだとか。


ふむ、そうなのかー。


・・・なんで?


ってことで議論スタート。


こんなくだらなさそうな話で平気で30分くらい
話せるのが読書会のいいところ。


もちろん、太った体を見たいというコアな層や、
ムキムキマッチョが太っていく様を、
転落人生的に味わいたい人もいるにはいるはず。

しかしながら、モデルやボディビルダーのような
肉体美を維持する人に比べて太っちゃう人の方が
人気が出る理由にはならない。


あーだこーだ。


そんな話をしていった中で、
我々の中では3つの仮説が出たわけです。


1.差分理論
2.AKB理論
3.ストーリー理論



この3つです。


そんなに難しくないので
簡単に話しますが、

差分は単純に
「人は差分に反応する」
という言葉にもあるように、

痩せた人が太っていくこと、
反対に太った人がまたやせていくこと、
こういった変化に人は反応する。

だからこそそういった変化がある人に
人気が出るのではないか、
という仮説です。


当たり前で一理はあると思うんですけど、
まだちょっと弱いですよね。


そこで出てくるAKB理論。


これはStayGoldなどのセミナーに
出た人はわかると思いますが、

初めから理想的な肉体のみを
披露する人は「ただのプロ」なのであって
そんなのを人は求めていない、という話です。


StayGoldでは

「時代はすげえ素人を求めている」

なんて話がありましたよね。


モーニング娘。などのような
完成されたアイドルを見るよりも、
身近なアイドルが求められている。

それと同様に、華麗な肉体美を披露したと思いきや、
しばらく経つとちょっと残念な、
しかし親近感の湧く体になっていたりする。

そういった部分に共感したり、
自身も鼓舞されたりしてファンに
なっていくのではないか、というのがこの仮説です。


ちょっと説得力が出たでしょうか?


そして最後のストーリー理論ですが、
これは今までの複合です。


完成された肉体ばかりを誇示する人は、
ある意味ずーっと高みにいます。


しかしながら、それは逆に言えば

「変化がなく、完成している」

ということでもあります。


つまり、その人のストーリーは
ある意味そこで停滞してしまっている。

冒険に行くわけでもなければ、
成長するわけでもなければ、
困難に向かうわけでもない。


完全な停滞。

あるいはただの現状維持。

こういうのはレベル100の勇者が
はじまりの街から1歩も出ない、
そんなストーリーと同じです。


人を惹きつけるためには
何らかのストーリーが必要である。



この前提に立てば、理想的な肉体のみを
見せ続けるような人は
正直言ってつまんないわけですね。

それよりも途中で太ったり、体調を崩したり、
成長したりしている、そんな変化のある人の
方が見ていておもしろいわけです。


こういった差があるんじゃないか、
という話になりました。


差分と、身近さと、ストーリー性。


私たちはこう考えましたが、あなたはどう考えたでしょうか?


もし他の説が思いついた人は教えてほしいですが、
この話、実はすごく重要だと私は思います。


というのも、

理想的な肉体を見せ続けること

これには差分がないこと、共感できないこと、
ストーリー性がないことなど、
いろんな欠点があることがわかりました。


ですから、人気を出したいと思うのであれば、
何らかの変化や失敗なども織り交ぜながら、
ストーリー性を感じさせることが重要・・・


と、普通はなると思います。


ただ、山川さんの話を聞いていて
わかったことは、


「実は本気で筋トレをやるには定期的に太らないといけない」


ということなんです。


つまり、体作りには「増量期」という概念があり、
わざと脂肪をつけてから絞ることで
さらに高みを目指すことができる、

そんな一般的な感覚からするとわけのわからない
奇特な時期があるそうなんです。


ってことはですよ?


そういう人気な人たちは
だらしなくて太っているわけでもなければ
太っちゃったわけでもない。

まあそういう人もいなくはないと思いますが、
一部の人は「ただ必要だから太っている」
ということになります。


ってことはですよ?


一部の人気が出ない残念な、
しかし完璧なばでぃを持つ人たちも
同じことやってるはず。


・・・ですよね?


それでも、ものすごい人気がある人と
そうではない人に分かれている。


これはつまるところ、見せ方の問題なんじゃ・・・?
ってことになったんですね。


同じ増量期でも

「こんな体は見せられない」

と言って隠すか、

「増量期でここまで脂肪をつけました」

と言って見せるか。



あるいは見せるにしても

「増量してここまで脂肪をつけました」

と見せるか

「太っちゃいましたがここから頑張って絞ります!」

と見せるか。


全部やってることは同じなんですが、
それでもまったく印象が違うことが
わかるのではないかと思うのです。


そしてこれが重要なことですが、
見てる側からすれば増量期で太っていようが
だらしなく太っていようが、


そんなのはぶっちゃけ関係ない


のです。


これは先ほどストーリーでも近いことを話しました。


マッチョな人の肉体に変化がない、
ということは実際はものすごいことです。

一定の水準を超えると、
その肉体を維持するためには
莫大な労力が必要になる。

栄養管理から体調管理、
筋トレの質や量などもかなり細かく計算して
ようやく維持できるものになる。


そういう絶え間ない努力が本来必要なものになります。


でも、はたから見ればどうか?


停滞、なのです。


「すごいけどこの人なんも変わんなくね?」


ってなるんです。


読み手はアップされている写真と、
それに添えられたコメントの中にあるキーワード

これらを用いて勝手にストーリーを組み上げ、
勝手に都合よく解釈し、そして勝手に共感します。


変化のない人にはストーリーを感じず、
変化のある人にストーリーを感じる。

そして都合よく解釈し、共感し、
勝手にファンになっていく。

実際は増量期で太っていたとしても、
ちょっと失敗して太っちゃって、
今から挽回するストーリーに見えるわけです。


だからこそ、


「頑張ってください!」
「こんな肉体になれるなんて素敵です!」
「私もダイエットしなきゃ!」
「○○さんがこんな状態からこんな体になれるなら、
 私にもできるかもしれない!」


なーんてことになる。


実際は、増量期でわざと太って、
そしてその間も次の筋トレに向けて
ストイックに準備しているかもしれないのに、です。


大事なのは、実際にあったストーリーではなく、
相手が勝手に作り上げる
架空のストーリーの方です。


そのストーリーが素晴らしければ、
多くの人がファンになってくれる。

そうでなければ、実際がどんなに
ドラマチックなドラマであったとしても、
何の価値も生み出さない。


ですから、ただの自己満なら
かまわないですが、共感やいいね、
ビジネスなどで活用を考える際には、

いかに相手にとって理想的なストーリー、
共感できるストーリーを作り上げられるかが
肝になるわけです。


それができているか否かの差。


もちろんそれだけではないと思いますが、
1つの要素として考えていいのではないか、
と個人的には思う学びでした。


まとめますが、以上の点からの学びは2点。


1.完成したものだけを見せようと思うな
2.相手の中にできるストーリーをデザインしろ



こんな感じになると思います。


けっこう当たり前の話ですけど、
やっぱり自分がやるってなると
そういう部分はなかなか見せられないものです。

失敗とか、泥臭さとか、途中経過とか、
こういうものも、”必要なら”適宜デザインする
必要があるということですね。


もちろん、ただ失敗を語ればいいというわけでは
まったくないのでその辺はお忘れなく。


さて、新年そうそうわけの分からない記事ですが、
こんなもんに致しましょう。


それでは今日はこの辺で。

本年もどうぞよろしくお願いします。

ありがとうございました!


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