初心者から抜け出す方法(?)について


こんにちは、Kです。

西洋思想史の第6回のビデオが届いたり、
プチセミナーをしたり
パフォーマンスセミナーの記事を書いたり

木坂さん関連だけでなんかいろいろ
バタバタしています。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか



今日はパフォーマンスセミナーのマクロ編の
フォロー(?)的なメールでオススメされていた本を
読んでいたら非常におもしろいというか、

「ああ、これはなんでもそうだよなあ」

って思うものがあったので紹介したいと思います。


アスリートの練習についての話なんですが、
ビジネスやスキル、読書、対話、
何にでも通じる話だと思います。

記事としては短いですが、
対話する価値はあると思います。

ぜひぜひ、やってみてください。



※ちなみにパフォーマンスセミナーについては
メンバーページに書いてあります。

企画募集は終了したので大部分の記事は見れないですが、
何名(何十名?)の方たちと人体実験をしてるので、
そのうちいろいろご報告できると思います。

興味ある方はぜひ楽しみにしていてください。




【とある本の一節から】



んでは、さっそく紹介します。


ちなみに私が読んでいるのは
「アスレティックボディ・イン・バランス」
という本です。

マクロ編で紹介されたことからもわかるように、
身体操作等について書かれている本なんですが、
その本の中にこんなことが書いてありました。


それでは、どんな練習も役に立つのだろうか? 必ずしもそうとは限らない。間違ったフォームで練習すると、そのフォームが情報の一部として運動プログラムに記録されてしまう。練習を継続すれば完璧になるのではない。完璧な練習を続けることが完璧さを生むのである。(『アスレティックボディ・イン・バランス』)



・・・


木坂さんで勉強されている皆さんには
これで十分だと思いますが、余計なことだと
知りつつも少し蛇足をつけようと思います。



この話って、本当に目を背けてはならないこと
だと思います。


もちろんどこの部分を考えてもらってもいいですが、
私が特に思うのはここですね。


>練習を継続すれば完璧になるのではない。
>完璧な練習を続けることが完璧さを生むのである。



練習、そして努力について。


私この文章見て驚いたんですよ。


なんで驚いたのかっていうと、
たぶん私が無意識のうちに

・努力は報われる
・努力は自分を裏切らない
・練習するだけうまくなる

そんなようなことを思い込んでいたから
だと思います。


一般的に、努力はすればするほどいいというか、
がむしゃらに頑張っている人ほど
評価される傾向があるように思います。

睡眠時間を削り、とにかくストイックに、
人の何倍も努力する。

それを続けていればその努力が応えてくれる的な
努力崇拝的な思想が私たちの根底にはある。


実際、これを否定する人ってほとんどいません。


まあこれを論理的に否定しようと思うと
才能だとか遺伝だとか、そういった優生学的な
思考がどうしても入ってしまいますから
けっこう難しいんですけどね。

そういった話って受け入れられにくいですし、
努力や練習を本当に否定してしまうと
何していいかわかんなくなりますから。

そういう話をされると無意識的に
拒絶してしまう人が多いと思います。


でもですよ?


よくよく考えてみると、やっぱりこういう思想って微妙です。


努力って大抵実んないですよね。


もちろん、ある程度は上達します。

二流とか三流程度にはなれるでしょう。

でも、その程度。

”ある程度”で終わってしまうことがほとんどです。

誰もがイチローになれるわけではなく、
プロになることすらできずに
夢破れてしまう人が大半です。


同じだけ努力をしているのにプロになる人と
プロになれない人がいる。

一流のステージに登る人と、二流どころか
三流のステージにすら登れない人がいる。

この違いは一体なんだろう。


・・・


「才能」


これが一般的な回答です。


わかります?


これ、ダブルスタンダードです。


目標に向かう際には努力は実ると考え、
がむしゃらに頑張る。

その目標、夢が叶わなかった際には
才能を持ち出し、努力は実らないと考える。

都合のいい思想を持ち出し、
ある時はモチベーションにして
ある時は現実を正当化する。


そういうことを普通にしているんですよね。


もちろん、私もこれらを否定するわけではないし、
例えば、


・行動することに価値がある。

・成功するまで続けることができれば
 それでいいんだ。

・成功するために練習を積んできたこと、
 そのプロセス自体が重要だ。



こういった考えには私も同意します。


そういう意味では努力は報われると
思っているタチではあります。


ただ、です。


>練習を継続すれば完璧になるのではない。
>完璧な練習を続けることが完璧さを生むのである。



これを読んでこうも思うようになりました。


行動することに価値がある。


それはあくまでも初心者というか、
本当の序盤の序盤にのみ持つべき
マインドセットなんじゃないか。



西洋思想史の第6回のセミナーで、
木坂さんはこんなことを言っていました。


「成功するために必要なことは物事を丁寧に見ることだ」


昔木坂さんがよく引用していた東山魁夷のセリフにも


「平凡なものを緻密に見れば、非凡なものが見えてくる」


というものがあります。


これらは何を言っているかと言えば、
簡単に言えば「雑じゃダメだ」ってこと
なんですけど、

もう少し踏み込んで言えば
成功するためには丁寧さが求められる、
つまり、

ただがむしゃらにやればいいのは二流の世界まで

ということだと思うんです。


ギターでも野球でも料理でもビジネスでも、
とりあえずやってみれば必ずある程度までは
上達します。

上達するんですが、それは先にも言った通り、
”ある程度”のレベルで止まるものです。


もちろん”ある程度”で構わない、
そんな趣味のレベルでいいのでしたら
別に構わないと思いますけど、

そういった初心者から一歩抜け出したい、
より一流の世界に近づきたい、

そんな世界を目指しているのであれば、
私たちはもうこの領域からは離れなければ
ならないんじゃないのかなと思うんです。


行動することに価値がある。

練習するだけうまくなる。

こんなのは初心者のみに限られます。


努力は実るとは限らないし、
間違ったやり方を続けていれば、
どこかで大きな壁にぶち当たります。

そのことに気づかず、そして気づけず、
それでもがむしゃらに取り組み続けるのは
「ただの現実逃避」です。


本当に成功したいなら努力の質にも
気を使わなければならない。

現実逃避のような努力ではなく、
ただ練習すればいい的な思考でもなく、
より丁寧に取り組む必要がある。


>練習を継続すれば完璧になるのではない。
>完璧な練習を続けることが完璧さを生むのである。



この言葉はそういうことを言っているように
個人的には感じられました。


・・・まあ正直、痛かったわけですよ苦笑


ただ漠然と今やっている作業をやっていればいい、
みたいなことを思ってたんでしょうね。

そのうち対話のレベルももっと上がってきて、
非凡なものが見えてくると思ってたわけです。


実際はそんなことはめったにないのに。


そこを思いっきり突かれてしまい、
ぐうの音も出ない思いでした。


まあこんなことはわかっている人からすれば

「なに当たり前のこと言ってんだ」

くらいの話なんだと思います。


でも個人的にはその感覚は抜け落ちていたので、
戒めの意味でも記事にしてみました。


あなたはどうでしょうか?


ただ練習すればいい。


なんて私のように思ってた人は、ぜひぜひ、

「ムダな努力は実んないんだぜ」

という絶望的なマインドセットを持ってみては
いかがでしょうか。


もちろん、この考え方は
練習の仕方を考えなきゃいけないという意味で、
行動へのハードルになります。

そういう意味ではかなり上級者向けというか、
既に行動している人にのみ向けられる
言葉なんだと思いますけどね。


行動してない人はさっさとやれ。


これもまた正しいと思います。


いやはや、難しいものです。


そんでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました!








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