知能と理性 〜島田さんの記事を叩き台に〜


こんにちは、Kです。

今日は教育について。

教育については以前も書いたんですけど
島田さんがおもしろい記事を書いていたので
その辺を叩き台にしつつ

改めて「良い子育て」というテーマについて
考えてみようと思います。



ちなみに島田さんの記事は

⇒ http://artistinnovation.net/contents/20170629

こちら。

前篇もあります。

⇒ http://artistinnovation.net/contents/20170628



そういえば島田さんがメルマガで
紹介キャンペーンとかやってたなあ・・・
まあいいんですけどね。


では参りましょう!



【理想と現実】


まずは島田さんの記事で出されたいくつか事実
(仮説)の確認をしておきます。



1.理性と知能は別


これはもう今や誰の目にも明らかですね。

官僚とか政治家とか。

とんでもなく賢いのに、もったいない。


ちなみに私や木坂さんが使う例だと
知能はパソコンのスペック。

脳の容量だったり性能、互換性だったり、
そういった土台系のものに当たります。

これは大体が3歳まで、確定されるのが
(諸説ありますが)遅くて9歳まで
と言われています。



理性は「心構え」って定義されてましたけど、
恐らく別の言葉を使うと

・フィルター
・思想、思考、信念
・柔軟さ(頭の固さ)
・視野の広さ、深さ

みたいなものでも言い換えることが
できるんじゃないかと思います。


これはパソコンのソフトウェアとか
パソコン使用者のスキルで例えられます。


理性には、知能と違って後からでも鍛えられるもの、
みたいなニュアンスが含まれるんですけど、
木坂さんや島田さんも言う通り

「年齢を重ねるほど鍛えにくくなる」

という側面もあります。


まあこの辺は理性を思考とか柔軟さとか
言い換えてみればよりわかりやすいかと。

年を取るほど経験とか常識とか
いろんなものが固まりきって
なかなか自由に考えられなくなる。

スポーツで変なクセをつけた人、
みたいなイメージが近いかな。


そうなると修正は大変ですよね。



2.知能を高める方法


これは記事には書いてなかったけど、
少しばかり。


※追記 : 書ききってみるとめっちゃ長くなってました汗


知能をどうやって育てるのか。


これに関してはけっこうコンセンサスが出てて、
以前にも紹介したんですが

「運動」

これに尽きます。


あとは多様な五感刺激なんですけど、
これは運動が全感覚を使うことからもわかるように、
言ってることはそう変わりません。


特に大事なのは走ること。


走ったり跳んだり転んだりしながら、
いろんな触感のものに触れたり舐めたり
聞いたり嗅いだりしてみる。

子どもが楽しいと思える形で
いろんな体の動かし方をしながら
遊ぶこと。


こういうのが重要になります。


この視点に立つと
早期の語学教育とか算数とか思考訓練とか、
こういうのは原則的にはネガティブです。

もちろん別の視点に立てば他の見解もあるので
その辺は難しいんですけど、木坂さんや島田さんが
言っている意味だとそうなる、ということです。


んで。


この観点から言うと島田さんもやっているような

「自然の中で育てる」

という考え方はとても合理的です。


その辺はこれから説明しますが、
ただ私と島田さんの見解的にちょっと違う(かも)
なところは、

私個人的には、自然の中で育てた方がいい、
という考え方は、

「自然がいい」

という話ではなく、

「街や都会でもいいけど刺激の種類に欠ける」

という、ある意味消去法的なニュアンスが含まれます。


別に都会でもいいんですけど、
都会で脳が発達する刺激や運動をさせるのは
けっこう難しいんですよ。


例えば触覚の話で言うと、都会の刺激って
基本的には「つるつる」が多いですよね。

さらさら、ざらざら、カチカチ、
くらいならあるかもしれませんけど
そもそも数が少ないですし、

ぬるぬる、トゲトゲ、ベトベト、ネバネバ、
こういうのに触れる機会はほぼないです。

(こういうのを親が遠ざけるので尚更)


走るときも地面は基本的に舗装されていて、
足裏の感覚を重視することもありません。


ゲームやテレビを見せたくなくても、
否が応でも情報が入ってきます。


このような感じで、都会や街だと大抵の場合
刺激が偏るんですね。


そしてこれは脳科学の話になりますが、
「刺激が偏る」ということは
別の言い方をすれば

脳が刺激されない、使われない

ってことです。


もちろん偏った部分は刺激されてるので
そこは使われるんですけど、
他の部分は刺激されない、という意味で、
使われる部分がかなり限定されます。


これが問題なんです。


これの何が問題なのかって言うと、
脳は幼児期の段階ではものすごい柔軟性、
可塑性をもっているんですが、

(要はスポンジのような吸収力があるということ。
 これが臨界期の考え方に通じるわけです)

この可塑性が維持される期間は短く、
使われない部分はどんどん封印と言うか、
削られていくことがわかっています。


だから単純に脳が刺激されないってことは
その部分が削られてしまう、

刺激や経験があれば身につくものが
その欠如によって身につかない、

その分の脳の容量が使われないまま
成長してしまう、ということになります。


これがそのスペック差に関係するんですね。


(あと運動は脳のシナプスを増やす
 という研究があるので、
 その意味でも運動は有効なんですが)


ただ注意してほしいのは、こうやって削るとか
封印するとか聞くとネガティブな意味に聞こえますけど、
これは脳を環境に適応させている、

「最適化している」

と考えてほしい、ということです。


生物的に、使わない機能を残しておくのは
ムダですよね。


そんなもんを全部残すってことは
洗濯機に掃除機と冷蔵庫の機能を
つけておくようなもの。

脳は生まれた時は環境に適応するために
さまざまな変化の余地を残していますが、

自分が生きる環境に合わせて、
必要な機能を残し、不要な機能を削り、
必要な部分に特化します。


その方がコスト的にも、効率的にも、
1つのシステムとしても都合がいい。


脳はそういったある意味当然のことをしているだけで、
決して余計なことをしているわけではないのです。


ただ。


私たちは都会などの刺激の偏った場所で
生活することによって、本来必要なもの、
これからの時代に必要なものすら
削ってしまっている(可能性がある)ということです。


少し例を出しますが、今の子どもには走れない子ども、
ころんだ時に手が前につけなくて
頭からダイブする子どもがけっこういます。

こういうのは小さい頃にそういう経験を
していないから、脳がそういう機能を
身につけていないからこそ起こります。


もちろんその時期なら可塑性が残っていますので、
学校でいっぱい走れば問題なく発達します。


ただ、アマラとカマラみたいに
使われないまま放っておかれると
言語すら使えない状態になってしまうように、

それもやらなかったらずーっと身につかず、
そしてある種の臨界期的なものを超えてしまうと
ずっと頭からダイブする大人になります。

多少の訓練で改善はできても、片言的な
ぎこちない動きしかできなくなるんですね。


・・・まあ既に理性、ソフトウェアの話にも
入り込んじゃっている気がしますが、
これが脳のスペック差の話です。


小さい頃に脳を使っていない人は、
使っていない部分の大多数が使われないまま
削られた状態で大人になります。

多く使った人は、その分が削られず
残されたまま大人になります。


んで、そのできるだけ多くを残すのが運動です。


まあ今回の話はわかりやすく話すために
少し語弊のある形で話してます。

そのため厳密にはちょっと違うんですが、

「運動と多様な刺激が脳の発達を促す」

と考えておいてください。



3.理性の話


ようやく理性の話です。


そんなこんなで幼少期にどんだけ知能レベル、
脳のスペックを高めたところで、
残念なソフトしか入ってないようでは話になりません。

切手収集の例が出ていましたけど、
その知能を悪巧みに使うとか、

小さい子のレベルで言えば
小狡く都合の良い感じにくぐり抜けるとかも
考えられますよね。


そうならないためにどうすればいいのか


って話になるのですが、ここは島田さんと木坂さんの言う通り。


多様な体験が1番です。


そういえば、先日読書会で

「子どもが安定のために公務員になりたいと
言ってきたらどうするか」

という質問をされたんですけど、
こういうことを言ってくる子どもに育っている時点で云々、
という視点で回答をしました。


個人的には別に公務員になってもいいと
思うわけですが、

その子どもがどういう意味で言っているにせよ、
子どもは今までインプットしてきたもので
できているわけです。


公務員になりたいと思うような
安定を求めるようなインプットをしてきたのは
誰なのか。


ま、親か先生、周囲の大人じゃないですか。


個人的にはそういうアウトプットが出てきている時点で
若干手遅れな感じがあります。


それでもそれを変えたいと思うのであれば、
いろんなものを見せてあげるしかないです。

公務員のデメリットだけでなく、メリットも、
そもそも働くということがどういうことかも、
他の仕事にはどんなものがあるのかも。

とにかくいろんな見方を教えてあげることが
必要かなと思います。


あるいは、その子が楽しいと思う体験を
させてあげるのもいいですね。

楽しいことに出会えれば、
それが仕事につながることもあります。


なんにせよ、いろんな体験をして
いろんな見方を知って、
自分の意見に固執することなく、

自由に視点を移動し、思考し、
実行に移せる力。

これが必要になるのであって、
その力の土台は、自分がどれだけたくさんの
ものに触れてきたかによって決まる。


要はそういう話なんじゃないかなーって思います。


これが理性の話ですね。


いろんな視点で考え、体験させてあげてください。


・・・むっちゃ長くなったので、次回に続く

ではでは。

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