結果的に差別とビジネスが繋がった話


では続きです。


・差別やいじめ、戦争などはなぜ起こると思いますか?
・それらをなくすことができると思いますか?
・なくせるとするならどうすればなくなると思いますか?
・なくせないのならばその上でどうすればいいと思いますか?


ここからセミナーの話に入りますので、
せっかくなので少しスライドを
引用してみたいと思います。



差別
・人間は持って生まれた「理性」の中に、差別的なるものが埋め込まれている
・人間は、持って生まれた知性と理性を駆使することで「暇」になってきたが、その「暇」が退屈を生み、その退屈から逃れる時に差別的なるものが生まれる
・「人間だもの」




これは差別をテーマにしてから3回目、
つまり最後のセミナーの
最後から2番目のスライドです。


これ、何が書いてあるのかを
少し味わってから先を読んで下さいね。


「人間だもの」


これは何が書いてあるかって言うと、
主に2つのことが書いてあります。


1つめ、


「人間は差別をする要素を持って生まれる」


ということです。


これ、人間は差別的な生き物である、
って意味ではありませんよ?

そうではないんですけど、
ただ、人間は差別的なものをもって生まれ、
普通に生きていれば普通に差別をする、
そんな特性を持っているということです。


まあ、これは言われてみれば
そうだってわかるんじゃないでしょうか?


キーワードは「比較」です。


人間、何かを比較しなければ
生きていくことはできません。

木坂セミナーやライティングでも
「人間は差分に反応する」
ということを何度も聞いていると思います。

というか動物なら何でも、変化や外敵に
対応するために未知のものにはかなりリソースを
割くことがわかっています。


ですから、自分とは違うもの、

自分の知っているものとは違うもの、

もっと言えば、

常識的なものとはかけ離れているもの。


こういうものに過敏に反応する、
そういう性質が動物には埋め込まれています。

それが差別や排除の元となる。

これがセミナーで紹介されていた話の1つで、
そう考えると別段不思議な話ではないことが
きっとわかるのではないかと思います。


ただ、セミナーではここからもう少し
踏み込んで解説していて、この認識に加えて
「理性」に着目した解説がありました。


難しい話はぶった切って話しますが、
人間は知能と理性によって
様々なものを獲得しました。

それは文明だったり文字だったり
いろいろありますけど、
今回注目されたのは


それによって生み出される暇


つまり時間です。


この時間が差別を生む。


もう少し具体的に言うと、
時間が余るといろんなことができますが、
それ以上に余ると暇になり、そして退屈します。

この退屈というのは人間にとって
ある種の毒のようなものだ、
というのがこの内容の趣旨です。


つまるところ、

「なんかおもしろいことないかなあ〜」

って状態が差別を生む(可能性がある)ということです。


ちょっとわかりにくいでしょうか?


でも、わかる人にはわかるはず。


退屈を紛らわすのは決して良いことや楽しいこと、
正しいことや善いこととは限らない。



退屈を紛らわすために人が取る行動には、
けっこう差別的なものが含まれることが
意外と多くあるのです。

それこそ、ワイドショーとか、悲劇とか、
他人の不幸は蜜の味とか、
ネットサーフィンして炎上させたりとか。


あるいは

「なにかおもしろいものないかな〜」

にしてみても、この発送は言い換えれば


おもしろいもの



おもしろくないもの

にいろんなものを二分していることになります。


その結果つまらないものは排除、
あるいは差別の対象となり、

例えばそれを楽しんだり歓迎したりする人を
軽蔑したり攻撃したりすることになる。


まあセミナーではさらに規範性や抽象化、
退屈な何かに対する排除意識など、
いろんな話がされましたけど、

なんにせよ人間には差別的なものが
生来的に埋め込まれている、

このことが今までの話からも言えますよねー
って話が今回のお話です。


他の動物にもある「比較」だけではなく、
人間固有の理性からくる「退屈」からも
差別は生まれる。

その2つの組み合わせによって
他の動物に見られないような複雑な差別の
構造を作っていたりするってことですね。


んで、です。


こんなのはセミナーの紹介なので
こっからが本題です。


私は冒頭で

・差別やいじめ、戦争などはなぜ起こると思いますか?
・それらをなくすことができると思いますか?
・なくせるとするならどうすればなくなると思いますか?
・なくせないのならばその上でどうすればいいと思いますか?

こんな問いを投げかけましたよね。


この差別や戦争の理由などは、
差分に反応する動物的な認識や、
退屈を埋めようとする意識からある程度説明がつきます。


なんとなくいじめるとかも、
退屈から逃れるためと思えば
普通のこと。

学校のいじめも退屈から来るパターンと
異端の排除のパターンと、

その亜種である
「異端(敵)を作ることで共同体を維持する」
このいじめのパターンが多いことがわかります。
(最後のは女性に多いですねー)


戦争の元になるような欲望も
退屈を埋めようとする作用だと考えると、
思いつく原因は大半埋まっちゃう気もします。


まあ戦争が退屈から来る、
とか言っちゃうのはちょっと抵抗がありますが、
それでも人間の欲の源泉が

「もっとほしい」

という思いだとすると、
なぜもっとほしいのか、
って考えれば、

もっと豊かになりたい、
もっと退屈から疎遠な生活を送りたい、

なんて思いからきているパターンも
案外普通にありそうです。


まあ戦争に関しては
排除からだろうが退屈からだろうが
始まってしまうと

コミットメントだったり洗脳だったり
サンクコストだったりから自由になれず、
ズルズル続いて今に至るパターンもありますが。


なんにせよ、それがすべてとは言えないにしろ、
原因の1つとしては考えていい、
と個人的には思います。


ここからちょっと対話していきます。


前記事がいじめがテーマだったので、いじめで話しましょう。


さて。


まず世の中にはいじめが多くありますが、
このいじめは一概にいじめと言えるものではなく、
今までの話を踏まえると

・異端排除のパターン
・共同体維持のパターン
・退屈逃れのパターン

この3つにに分類できることがひとまずわかりました。


そうなると、ですよ?


当然、いじめの解決法も変わってきますよね?


もし退屈からくるいじめだったとしたら、
いじめられっ子はぶっちゃけ
どーしようもありません。

そこから逃げるしかないけれど、
出たところでまた別のいじめが起こります。

ただ、それは従来のいじめられっ子が
いじめられるのではなく、新しいいじめられっ子が
たけのこのように出てくることになります。


でも、いじめられている子からすれば、
逃げればそれで解決します。

その子に非はないんですから
さっさと逃げればよし、です。


ただ、この場合に面倒なのは
逃げてもなお退屈しのぎの対象として
その子が選ばれ続ける場合ですね。

家まで押し付けてきたり、
呼び出されたりしますから。

退屈しのぎの対象として外れるまで
徹底的にイグジットするしかない、
そんなパターンです。


この場合の問題は退屈しているいじめっ子たちの方なので、
その退屈をいかに解消するかに
力を割くべきと言えると思います。


でも、異端排除のパターンだと話は変わります。


原因が異端であるいじめられっ子にある
可能性も出てくるからですね。

(もちろん意図的に異端にされた、
リーダーに逆らった、などのパターンも
考えられますは、それは割愛)

そうなると、逃げた先でも
その子は別の子からいじめられることになります。


この場合はいじめられる原因の解決が必要になります。


いじめる側ではなく(もちろんこちらも必要ですが)
どっちかって言うといじめられる側へのアプローチが
必要になるわけですね。


共同体維持の場合。


これはもっとめんどくさくて、
その仲裁などをしようとすることで
共同体が崩壊する可能性があります。

いじめられっ子が仲裁を拒否する
パターンもよくあります。

その場合には共同体のメンバーが
いじめ以外の方法での共同体の維持方法を
学ぶ必要が出てきます。


・・・みたいな感じに対応が分かれます。


当然、混同して対応するとエライことになります。


この辺学校っていい加減ですよね。


やることと言えばいじめっ子に対する
説教と説法、いじめられっ子の保護、
そんくらいです。

異端排除だろうと共同体維持だろうと
退屈しのぎだろうと、
これで解決するわけがない。


・・・まあこれだけで解決するほど
いじめは単純ではないですけど、
1つの切り口としては有効なんじゃないかと思います。


個人的にはいじめっ子を退屈させないこと、
というのは新しいアプローチなので
けっこうおもしろかったです。



この辺の暇や退屈の話ってけっこう応用ききますので、
ぜひいろいろ活用してみてください。


ビジネスの種として使ってもいいし、
人間理解として使ってもいい。


特に今のスマホとかなんて、
人間がどれだけ暇になって、
そして退屈しているかを物語ってますよね。

どれだけゲームやユーチューバーに
馬鹿みたいに熱中し、
そして数時間経った後に

「俺何やってるんだろ・・・」

って思っている人がいることか。


単純に退屈を紛らわすコンテンツを考えてもいいし、
退屈を抜本的に解決するような何かを
考えてもいいと思います。

特に後者とかは需要あるんじゃないかなー?
って思いますね。

私も今少人数で勉強会やってますが、
これすごい有意義な退屈しのぎだと
個人的には思います。


(退屈しのぎって言っちゃうと
なんか語弊を与えちゃいそうですけど、
勉強会の人は大丈夫なはず・・・はず)


前者にしてみても、

「大半の人は退屈が紛れればそれでいい」

という意識があるかないかで、
けっこうコンテンツの質とか
ビジネスの方向性が変わると思います。



はい、なんか最後は変な方向に進んでますが、
話としては以上です。


・差別やいじめ、戦争などはなぜ起こると思いますか?
・それらをなくすことができると思いますか?
・なくせるとするならどうすればなくなると思いますか?
・なくせないのならばその上でどうすればいいと思いますか?


この辺について話してみたつもりです。

ストレートに答えてないものもありますが、
ぜひぜひ、今回話した話を元にしたり
しなかったりしながらいろいろ考えてみてください。


そんでは今日はこの辺で。

ありがとうございました!


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